先日、ある方々と今年を振り返るような話をしていたのですけれど、
話は姿形を自由自在に変えていき、
いつの間にか某アイドルグループの解散に見るあれや、これやの話になったのです。
幕引きのタイミングや幕の引き方に対して思うところも人それぞれであるようでした。
細かな所は更にそれぞれの個人的な想いや考えが反映されるのですが、
国民的アイドルなのだから全員揃って最後の挨拶をするのが筋という面々と、
国民的アイドルと言う前に個々の人生があるのだから、
そこまで背負わせなくてもという面々と。
ワタクシは、後者でした。
前者の想いも考えも感じていることも非常に理解できるけれど、
個人的に答えるならば後者で少数派。
前者の意見を持った面々も少数派の言っていることも理解できるけれど、
個人的に答えるならばと申しておりました。
その後、しばらくは双方の考えが飛び交っておりまして
最後は、人というのはほんとうに勝手に様々な事を思うものだ、
同じ答えであってもそこに辿り着くまでの考え方は人それぞれだ、
という着地点だったのですが、私は着地点そっちのけ。
単なる雑談の場ではあるけれど、このような場をとてもありがたいと思っておりました。
民主主義の国では多数決で様々なことが決まります。
これ自体は悪いことではなく、ひとつのルールとして機能していますし、
このルールによって保たれていることも数多く在ります。
ただ、少数派の想いや考えがいつの間にか無意識下で
否定、ダメ、間違い、といった感覚や感情にすり替えられてしまうことがあります。
周りと同じ意見でなければ安心できなかったり、
ワタシってダメなのかしらと自分に自信が持てなくなったり、
そのような瞬間は誰もが一度は経験しますよね。
私も場合によっては優先順位や重要度が変わる瞬間に遭遇することもあり、
本来は少数派であるけれど多数派のフリをしてしまうことも
常にではないにしても、無きにしも非ず、です。
そう思うと、全てはモノゴトの見方、状況、立場によって
感じ方が変わることは不思議なことではなくなり、
少数派だったからといって不安になったり、
自信をなくしたりしなくてもいいんですよね。
だから、単なる雑談タイムではあったのだけれども、
不安を抱かずにその場にいる皆が自分の感じていることを素直に口にできる場はありがたいなと。
もちろん、受け止め合える見えない信頼あってこそなのでしょうけれど。
多数派も少数派もあってこそ、
相手を知ることができたり、自分を知ることができたり、世の中を知ることができたり、
これから先をイメージすることができたりします。
少数派の意見を持っている自分に不安を抱きそうになった時には、
このことに感しては、私はこう感じているんだ、周りはこう感じるんだなと、
どちらも否定せずに一度、ただただ受け入れてみてはいかがでしょうか。
自分の考えや思いが採用されなくても、それは否定されたのではなく、
その時のことに関しては自分以外の考えが採用された、というだけです。
もし、自分の考えが多数派であろうと、少数派であろうと、
不安を抱かずに自分が感じていることを素直に口にできる場が既にあるという方、
とてもありがたい環境なのではないでしょうか。
その空気を噛みしめてくださいね。
その場にいる皆が自分の感じていることを素直に口にできる場、受け止め合える場、
私たちの周りには、そうではない場やシチュエーションもありますが、
多数派の意見も少数派の意見も大切だと感じるのですが、
皆さんはいかがでしょうか。
今年も残りわずか。
在って当たり前になっているモノゴトに敢えてスポットを当てみると
何かしら気付くことができるのかもしれませんね。