食事会に出席していたときのこと。
大皿にこんもりと盛り付けられた鶏の唐揚げが、隣のテーブルに運ばれてきた。
それを見た女性が「鶏の唐揚げ、大好き」と素敵な笑顔で言った。
その天真爛漫な笑顔とシチュエーションが、以前同じ仕事に携わっていた後輩の、可愛らしい笑顔にしていたものだから、
こちらまでつられて口元が緩んでしまった。
その時も、鶏の唐揚げが大皿に盛られて運ばれてきたのだ。
それを見て後輩は、「じゅっぱ、ひと唐揚げって、このことだね」と満面の笑みを解き放った。
(※間違いとまではいかないけれど、“十羽”の正しい発音は“じっぱ”)
普段、その言葉を使う機会がないので、私の頭の中が混乱した。
手元にあった飲み物をひと口、ふた口と飲み頭の中が静かになるのを待ったような記憶がある。
それって、十把一絡げ(じっぱひとからげ)を捩った?と正直に聞いてみた。
すると、捩ってはいないよ、じゅっぱ、ひと唐揚げって言うでしょ、と返ってきた。
もう、その日からずっと今日まで、十把一絡げの文字を目にする度に、
私の頭の中には大皿に、こんもりと盛られた唐揚げ映像が映し出されるようになっている。
十把一絡げ(じっぱひとからげ)というのは、目にする機会は非常に少ないように感じるのだけれど、
様々な種類のものを、区別せずにひとまとめにして扱うことや、
一つ一つ取り上げるほどの価値がないものとして、ひとまとめに扱うことなどを指す言葉である。
「十把一絡げ(じっぱひとからげ)にしないで」
「十把一絡げ(じっぱひとからげ)にして考えた」といった使い方をする。
かなり砕けた言い替えをするならば、「ザックリ」「一括り」「ごちゃまぜ」「雑」といったニュアンスである。
語源は、稲や麦など刈った藁を一束にして縛ところからきているという説があるのだけれど、
決定打に欠けるそうで、その語源は曖昧なまま、江戸時代辺りから使われ続けている言葉だ。
十把の「杷」は、束になっているものを表しており、ここでは「たくさん」の意味がある。
一絡げの「絡げ」は、「まとめる」「括る」「結う」といった意味があり、ここでは「ひとつにまとめる」といった意味。
これらを合わせ、「たくさんあるものを、一括りにする」という意味で使われている。
十把一絡げ(じっぱひとからげ)の響きが、そう連想させているのか、覚えさせてしまうのか、
この言葉の言い間違いに多いのが、冒頭の「じゅっぱ、ひとからあげ」である。
そして、この言い間違いから連想させられるのは、
十羽もの鳥を全て鶏の唐揚げにし、それがお皿に盛られている様子である。
正しいとは言い切れないけれど、意外としっくりくるイメージであるようにも思えて、
私は、十把一絡げ(じっぱひとからげ)の文字を目にする度に、
頭の中で、大皿に、こんもりと盛られた唐揚げ映像を思い浮かべるのである。
そして、つい口を滑らせて「じっぱひと唐揚げ」と言ってしまわぬよう、気を付けている。
もし、十把一絡げ(じっぱひとからげ)に触れる機会がありましたら、
今回のお話を頭の片隅で、ちらりと思い出していただけましたら幸いです。
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