その日は雨が降っており、少し肌寒さを感じる日だった。
いつの間にか蝉の鳴き声は無くなっており、セミファイナルを見かけることも無くなった。
その代わりに、耳を澄ませば蝉からバトンを受けたかのように鈴虫が涼し気な音色で鳴いていた。
この音色を耳にすると、一気に本格的な秋の始まりを感じるように思う。
鈴虫と言えば、京都にある華厳寺(けごんじ)、通称・鈴虫寺の名で知られているお寺の諸々を思い出す。
小さいけれど古い良き日本の景色がギュッと詰まったお庭があり、お寺と人との距離感は、祖父母の家へ遊びにいくような心地良さで、お寺から見える自然は、人の心にも目にもとても優しい。鈴虫寺はそのような場所である。
そして、入り口にいらっしゃるお地蔵さんは、珍しく草鞋(わらじ)を履いているのだけれど、願いごとを一つだけ叶えるために、わざわざ自宅に来てくださるお地蔵さんとしても有名である。
ただし、お願いごとを伝えるだけでは住所が分からず願いを叶えに行くことができないため、お地蔵さんにお願いごとをする際には、自分の名前と住所を部屋番号まで正しくお伝えする必要があるという。
境内には、特設された大きなガラス張りの鈴虫ケースが置かれており、お寺の方々によって大切に飼われている鈴虫たちの鳴き声を、四季を通して聞くことができるのだ。
これが、このお寺が鈴虫寺と呼ばれる理由である。
境内に入った人には、お茶と小さな落雁が振る舞われ、これをいただきながら、ご住職の説法を聴くことができるのだけれど、説法の最後に仰るのだ。
「皆さんの手元に配られたお菓子にまぶされている小さな黒い粒々は、鈴虫の……(※幸せのレシピ集内では、以下の記載は皆さんの想像力に委ね、自粛致しますね。)」と。
もちろん、これはご住職の冗談で、黒い粒々は確か、乾燥した赤紫蘇か何かだったと記憶している。
幾度か足を運ばせていただく機会があり、長年言い続けてきたのであろう、お決まりの鈴虫ジョークをビシッとキメてくださった場面に居合わせたことも幾度かあるのだけれど、残念ながら、ドッと笑いで湧いた場面を私は知らない。
その代わりに、鈴虫の音色をBGMに、いくつかのリアクションが入り混じった不思議な空間を体験することとなり、いつの間にか、その空間が癖になっている自分に気が付くのである。
今日も鈴虫寺のご住職は、説法のしめに、あの鈴虫ジョークをビシッとキメているのだろうか。
そのようなことを思いながら、ひんやりとした空気の奥から聞こえる鈴虫の声に耳を傾けた日。
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