駅のホームには、既に次の電車待ちをしている人の列がいくつも出来ていた。
座ることは諦めて短めの列を選び、最後尾に並んだ。
それから数分も経たぬうちに電車が到着し、開いたドアからは大勢の人が降りてきた。
降りる人が先。
当たり前のようなことだけれど、誰に見張られているわけでもないのにきれいに並ぶことができ、順番を待ち、譲り合うことができる光景には、日本人の細やかな気遣いが表れているように思う。
ここまでお行儀よくしなくても成り立っている環境があることを思うと、「良い悪い」を超えたところにある国民性のひとつでもあるのかもと思ったりもする。
しかし、一見、普遍的にも思えるようなこのような性質も、語り継ぐ人や受け継ぐ人がいてこそのものなのだろうなと感じた話題がある。
それは、電車に乗ったときのリュックサックの扱い方である。
昨年末辺りから、この、リュックサックの扱いに関する話を度々耳にしている。
大勢の人で混雑している電車内などではリュックサックは背負ったままにせずに抱きかかえるか、棚の上に乗せるか、足元に置くなど、自分の目でそれを把握できる状態にして扱うという、
マナーというべきか、暗黙のルールと言うべきか、そのようなものがある。
ファッションなどの影響からなのか、リュックサックを利用する方が減った頃から、このようなマナー意識を促す広告が巷から姿を消し、それなりの年月が経っていた。
しかし近年、リュックサックを利用する方が増えつつある中で、
年齢が下がるほどに「そのようなマナー(暗黙のルール)は知らない」という声も上がっており、小さなトラブルも起きているというのだ。
経験値を含んだ様々な立ち位置からの見方や見解、時代背景等もあるため、ここでは良い悪いの話ではないのだけれど、
環境が変わり伝える必要がなくなった、窪みのような時代が長く続くと、当然のように、知るきっかけを失う世代が出てくることを肌で感じた話題だった。
いつの時代も、世代間に生じるちょっとしたズレはあるものだけれども、
少し大らかな気持ちで眺めて伝えたり、大らかな気持ちで受け継いだりということができると、減らすことができるトラブルもあるように思う。
この話題を思い出し、電車内の広告が持つ力も侮れないと改めて思った、ある日の電車移動である。
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