寄り道をしすぎてしまい、焦る気持ちが顔を覗かせ始めた頃に駅に到着した。
改札へ向かうため、急ぎ足でエスカレーターへと向かった。
すると、母親に手を繋がれた男の子がエスカレーターの横に立ち、ひとりひとりに「どうぞ」、「どうぞ」と声をかけていた。
私も可愛らしい声で「どうぞ」と促され、お礼を言って乗った。
背後から途切れながら聞こえる母親の、「もういいんじゃない?行こうよ」と言う言葉から、
随分と長い時間、大勢に先を譲っているのだろうと思った。
そう言えば以前、医療従事者の方々から興味深い話を聞いたことがある。
時は戦国時代。
戦場から、怪我を負った大勢の兵士たちが、治療のために医者のもとにやってきたという。
その中には、我先にと他人を押し退けながら治療を医師に求める兵士たちと、
自分も大きな怪我を負って苦しんでいるにも関わらず、
治療の順番を他の兵士に譲ったり、譲り合ったりしている兵士たちもいたのだそう。
そのような戦場で大勢の兵士たちの治療に当たっていた医師たちが残した話によると、
我先にと他人を押し退けて治療を受けた兵士たちは、
他の怪我人たちと似通った症状であったとしても痛みが強く、治療を受けたにも関わらず命を落とす人も多かったという。
一方、自分も大きな怪我を負って苦しんでいる状態なのに、他の兵士と治療の順番を譲り合っていた兵士たちは、
本来、その怪我の症状によって感じるであろう痛みよりも痛みを弱く感じている様子で、
怪我の大きさに反して命が助かる人が多かったというのだ。
もちろん、当時の現場にいた医師たちがそう感じたというだけなので、
正確なデータなどが残されているわけではないそうなのだけれど、
医療視点でこの状況を見たときに推測できることもあると言う。
それは、気持ちに余裕を持つことができると、人は体内で、セロトニンやオキシトシン、ベータエンドルフィンと言った、
幸せホルモン・癒しホルモンと呼ばれることでお馴染みの、あの成分を分泌するのだそう。
これらの成分が、痛みを軽減させたり、自然治癒力を高めるなどした結果、
医療の域を超えた人が持つ不思議な力、いや、人が本来備えている力や機能が発揮されることがあるのだとか。
そう考えると、戦国時代の生死に関わる状況下でのエピソードとして残されているこの話も、十分に頷けるというのだ。
男の子の「どうぞ」を受けて、このような話を思い出した。
男の子は単に“譲ること”がマイブームだっただけなのかもしれないけれど、
幸せ・癒しホルモンが出まくりだったに違いない。
そう勝手に思いながら、私はホームに入ってきた電車に乗った。
幸せ・癒しホルモンの分泌を促す方法も多々あるけれど、
自分が気持ちの余裕を感じられる状態は、どのような状態のときなのか。
そのようなことを知ることも、幸せ・癒しホルモンの分泌を促すひとつの方法なのかもしれない。
体と心は繋がっている。
時折、どちらか片方が先行してしまったり、片方が追い付かずに遅れをとってしまうこともあるけれど、
それに、いち早く気づくことができるのは自分だけだ。
時には、焦る気持ちや止まない思考を静めて丁寧な深呼吸をしてみませんか。
今日も、ここへ足を運んでくださった皆さんが心身ともに健やかでありますように☆彡
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