ここ数年でゲリラ豪雨というものが当たり前になってきましたね。
数日前も、家中の窓を開け放っていると急に雨雲の匂いが鼻をかすめまして、もしや!?と思った時には既に辺り一面が薄暗くなっており、ザザーッと激しい雨が降ってきました。
家の中を右往左往して窓を閉めたのですが、閉め終わってひと息つく頃にはカラッと雨が上がってしまうのだから困ったものです。
ゲリラ豪雨が当たり前になってきた昨今、落雷を警戒する声を耳にするようになりました。
古の時代には、このような時に雷除けのおまじないとして唱える言葉がありました。
皆さんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
「くわばら、くわばら」という言葉。
今は雷除けというよりは、良くないことが起きた時などに唱えられるイメージの方が強いように感じますが、元は雷除けのおまじないのような言葉でした。
「くわばら、くわばら」の由来には所説ありようなのですが、今回はその中から京都の地名と深く関わっている説をサクッとご紹介させていただきます。
お好きなお飲み物を片手に、ちょっとした読書気分でお楽しみくださいませ。
このお話には皆さんもご存知の菅原道真が登場します。
菅原道真といえば遣唐使を廃止した人物として、また太宰府へ左遷された人物として有名です。
どうして大宰府に左遷されてしまったのか。
簡単に言えば、公家の出でありながら持ち前の才能を活かして出世していく菅原道真のことを邪魔だと感じている貴族たちの嫉妬による嫌がらせです。
菅原道真は、さぞ悔しい思いをしたのでしょう。
左遷された大宰府の地で恨みを抱きながらその生涯を終えたため怨霊化し、当時の天皇の子孫を次々に祟った上、恨みを持っている人々が暮らす京都に多くの雷を落としたと言い伝えられております。
今では、日本の最大怨霊の一人としても名を馳せている彼が学問の神様として祀られるようになったのは、人々に怨霊化したと認識された後のことでございます。
ただ、不思議なことに昔、菅原道真の住まいであった桑原町だけ、雷が落ちなかったそうなのです。
この事に気づいた人々は、雷が鳴ると桑原町の旧菅原道真邸付近へ避難するようになりました。
この話が人伝えに広まり、人々は雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と唱え、菅原道真の怨霊が落としている(と言われていた)雷から身を守っていたそうです。
これが、現在の私たちが知っている「くわばら、くわばら」という言葉のもとになっているエピソードです。
そして、ここからは余談なのですが、現在も京都には、この桑原町が残っております。
ただ、その残され方が少々不思議なのです。
菅原道真の住居が残っているわけでもなく、人が住めるような敷地面積でもない道路上の一角を「桑原町」として不自然な形で残しています。
こちらがその地図なのですが、右下の【十】をクリックして地図を拡大していくと、
桑原町が赤枠で記されるのですが、道路上だということがお分かりいただけると思います。
出典:Google map
桑原町と聞いただけでは、そこに在る歴史や当時の人々の思いまで知ることはできませんが、紐解いていくと、様々な歴史が刻まれております。
特に京都にはこのようなお話がたくさんありますので、足を運ばれる機会がありましたら観光地だけではなく、地名に隠された歴史やエピソードを紐解いてみるのも一興かと思います。
ゲリラ豪雨に見舞われました際には雷除けに、「くわばら、くわばら」いかがでしょうか?