数週間ぶりに、ある友人と話す機会があった。
電話が繋がるか否かのタイミングで挨拶も前置きもすっ飛ばして、
「どう?」と最初に切り出すのはその友人の特徴だ。
何となく無くしたくない個性のひとつ、友人らしさに感じられるものだから、
突っ込むことをしないまま現在に至る。
その日も、そのように切り出され、「んー、どうだったかなー」と言いながら、
ひと月の間に起こったことを脳内で振り返ったのだけれども
その短くも長くもない妙な間を急かすことなく黙って見守ってくれる友人
自由気ままに振り返らせてくれる友人のこの穏やかさに、私は何度も救われている。
いつも言葉巧みに勢いよく話す友人だけれども、
褒められたり、感謝されることには照れが先行してしまうのか、
はにかんだまま息を飲んで固まってしまうことを私は密かに知っている。
その友人が最近美味しいインドカレーを食べたのだと熱弁するものだから、
私の口はすっかりインドカレーを欲してしまった。
電話を切った後、影響を受けまくっていることに敗北感にも似た妙な感情を抱きつつ、
徒歩圏内にあるインドカレーのお店へ足を運んだ。
初めて入るそこは扉を開けると異国感満載の空間が広がっていて、
たどたどしい日本語で注文をとってくれるスタッフの笑顔が印象的だった。
厨房へ視線を向けると本場の方が手際よく調理している姿が目に飛び込んで来た。
しばらくすると、期待高まる私の前にプレートからはみ出すほどの大きさのナンと一緒にカレーが運ばれてきた。
まずは、香ばしさと、もっちり感を併せ持つ焼きたてのナンをひとちぎりして、
猫舌であることもすっかりと忘れたまま口に運んだ。
案の定、“熱い”以外の情報は得られず仕切り直し。
今度は小麦粉の甘さが感じられて思わず笑みがこぼれた所をスタッフに目撃されてしまった。
お昼時を過ぎていたこともあり店内の客は私一人。
スタッフも気が緩んだのかもしれない、「うちのナン、おいしいでしょ」と声をかけてきた。
私も頷きながら、「インドではこんなに美味しいナンをいつでも食べられるんですね」と返す。
すると、そう思われているけれど実際は少し違うのだと話してくれたのです。
インドではナンは贅沢なパンで、外食をしたときに食べたり、買って帰って食べたりするのだそう。
理由としては白い小麦粉自体が高価であること、
家でナンを作るにはタンドールと呼ばれる窯やオーブンが必要になるけれど、
一家に一台あるというものではないということなどが理由にあるのだとか。
私はプレーンタイプのナンのことを脇役的なポジションとして見ていたのだけれど、
本場インドではヒーローだったとは。
日本では、タンドールで焼き上げられたナンには敵わないけれど、
ナンのミックス粉もあり、レンジで温めるだけで食べることができるナンもあり、
とても身近なパンのひとつになっていたものだから、尚更驚いた。
そのお話を伺った後、目の前のナンが普段の数倍輝いて見えたような気がしたし、
普段よりも幸せの味がしたような気がした。
敗北感にも似た妙な気分に従うのも遅めのランチも悪くはないようだ。
ナンを召し上がる機会がありましたら、脇役ではない幸せの味をご堪能あれ。