昔ながらの塩分が効いている梅干しも美味しいけれど、我が家の冷蔵庫内に鎮座するのは、専らはちみつ漬けの梅干しだ。
塩分を控えたいという理由と、酸味と塩気だけではなく適度な甘味も捨てがたい、という私の我がままを叶えてくれる梅干しがそれである。
その日は、梅肉とワサビを使った中華風のペーストをこしらえるため、冷蔵庫の中から梅干しを入れている、中が透けて見えるガラスポットを取り出した。
もっと雅な容器に入れると風情があってよいのだろうけれど、和洋折衷もこれはこれで乙なものである。
はちみつ漬けの梅干しから放たれる甘酸っぱい香りと、ふっくらと仕上がっている様に誘われて、一粒口の中に放り込んだ。
甘酸っぱい香りに油断してしまったけれど、やはり梅干しは梅干しである。
昔ながらのそれほどではないけれど、酸っぱさは健在で、思わずぎゅーっと目を瞑った。
そうそう、梅の酸味と言えば「梅根性(うめこんじょう)」という言葉がある。
梅は、どんなに手を加えて調理しても、その酸味が完全に消えることはない。
この様子から、なかなか自分を変えることをせず頑固な性格を「梅根性(うめこんじょう)」と言う。
これを良い意味で使う場合は、諦めずに頑張り続けることができる頑張り屋な性格を指す。
頑固タイプが居れば柔軟なタイプもいるわけなのだけれど、頑固タイプの「梅根性(うめこんじょう)」に対して柔軟なタイプのことは「柿根性(かきこんじょう)」と言う。
ここで言うところの「柿」は渋柿のことで、渋柿は焼けばすぐに渋みが取れ、干せば少々時間はかかるものの、それでも甘い柿に変わることから、
一見、頑固者に見えても融通がきき柔軟性がある性格を「柿根性(かきこんじょう)」と言う。
これを少し悪い意味で使うと諦めが早いだとか、粘り強さが足りないといった意味で使われることもある。
どちらの性格、性質も一長一短なので、良いか悪いかという話ではないのだけれど、時々目にすると、なかなか上手い例えだと感じる言葉である。
そして、小説などの中で使われていた際には、どちらの意味で使われているのか立ち止まって覗いてみるのも、作者の意図や感性に触れることができ、面白い。
そのようなことを思い出しながら、まな板の上で果肉を刻んだ。
梅干しや梅の花に触れる機会がありましたら、ちらりと思い出していただけましたら幸いです。
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/