お正月期間に、たっぷりとお餅を堪能してしまうと鏡開きの頃には、少々お餅に飽きてきてしまって、
鏡開きは、そのうちでいいかななどと思ってしまいそうになります。
私が子供の頃の鏡餅と言ったら、祖父母の家でついたお餅でつくられたもので、とても大きくて、ずっしりと重いものでした。
そして、鏡開きと言ったらカチカチ、カピカピになった、その大きくて、ずっしりと重い鏡餅をキッチンへ運び、
何度も金槌で叩いて細かく砕いていただく、少々大変なイベントでした。
鏡餅の意味や由来を知らなかった頃は、どうして、こんなに大変な思いをしてまで、
このカチカチ、カピカピになったお餅を食べるのだろう、と不思議に思ったものです。
しかし、鏡餅は鏡開きの日にしっかり開いて、いただく事が良いとされています。
といいますのは、鏡餅には年神様(歳神様)が宿っていた場所ですので、
鏡開きをする事で年神様(歳神様)をお見送りしてお正月に区切りをつけ、
新しい一年へ踏み出す、心新たに仕事を始める、という意味があったそうです。
そして、神様の力が宿った鏡餅を美味しくいただきながら、家族みんなが健康で笑顔で過ごせるよう願うのです。
年神様(歳神様)がいらっしゃる期間のことを松の内といいますが、この期間は地域によって異なるようです。
このため、鏡開きを11日に行う地域、15日に行う地域、20日に行う地域など様々です。
鏡開きは武家から始まった行事で、なぜ「鏡開き」と呼ばれるようになったのかと言いますと、
年神様(歳神様)が宿っていた鏡餅に刃を入れるというのは、切腹を連想させてしまう事から厳禁でした。
ですから、今でも鏡餅は手か木槌などで割る習慣が残っています。
忌み言葉に敏感だた昔の人々は、「割る」という表現も縁起が悪いということから、
末広がりを意味する縁起の良い「開く」という表現を使い、「鏡開き」というようになりました。
日本人の年神様(歳神様)への気配りと、日々の暮らしを丁寧に重ねていく意識が、このような所にも顕れていたように思います。
剣道などの武道で新年の道場開きに鏡開きをしたり、お汁粉などを振舞う事がありますが、これは鏡開きを始めた武家の名残りだそうです。
今はカチカチ、カピカピのお餅を金槌で叩かなくても
一個ずつパック包装されたお餅が入っている鏡餅があります。
私は毎年、これを利用しているのですが、パカッと鏡餅の底を開封して小さいお餅を取り出すだけなので簡単です。
そのうちでいいかなどとは言っていられません。
私は、「お汁粉」と「ぜんざい」を楽しんで、
最後に中途半端に残ったお餅は、小さく砕いて油で揚げて、
お塩とゴマ、青のりなどをまぶしてあげ餅にするのです。
今年も年神様(歳神様)からの贈り物をありがたく、いただこうと思います。
皆さんも、鏡餅を美味しく召し上がって下さいませ。
※年神様(歳神様)や鏡餅については、こちらでもお話しさせていただいています。