開け放った窓からピーという機械音とともに声が飛び込んで来た。
「えー、本日は晴天なり、本日は晴天なり」、近所にある小学校からだ。
運動会の練習か何かかしら、そのようなことを思いながら、しばらくの間、窓を閉めておこうかと椅子から立ち上がった。
窓へ手を伸ばした時、学生の時に抱いた素朴な疑問を思い出した。
それも確か運動会の練習だったか、準備だったか、そのような事を行っていたときだった。
学校の先生がマイクを手に取りスイッチを入れ、ポンポンとマイクの頭を軽く叩いたあと、「本日は晴天なり」と連呼したのだ。
「ん?」と当時の私の頭の中に「?」が浮かび上がった
どうしてマイクテストの時に「本日は晴天なり」と言うのだろうか、と。
マイクのスイッチが切られたことを確認した私は、その疑問を先生に投げかけた。
「え?何でだろ。何で?」「(いやいや、私が聞いているの)」とは突っ込まず、ただ笑って答えを待ったような記憶がある。
しかし、世の中は甘くないのだ。
「よし、一緒に調べよう」
先生から簡単に答えを知ろうとした私は、先生と共にその理由を調べることになった。
もちろん、仲の良かった友人たちを巻き込んでの放課後のちょっとした特別な時間。
初めに辿り着いた答えは、大正時代の出来事だった。
現在の気象庁にあたる機関で無線放送を流す際に「本日は晴天なり」という言葉を使ったのだそう。
そして、その後にNHKが放送を始める際にマイクテストが行われたのだけれど、これに倣って「本日は晴天なり」と使うようになり、マイクテストに使う決まり文句のようになったようだ。
そうなのか、と思っていると友人の一人が、じゃぁ、大正時代の人はどうしてその言葉を選んだんだろう?と新たな疑問を解き放った。
その時もやはり、「よし、一緒に調べよう」が先生の決まり文句だったように思う。
そこで私たちは面白いことを知ることになったのだ。
「本日は晴天なり」をマイクテストの言葉に使うようになったのは、アメリカでのマイクテストで「it’s fine today.」と言われており、日本は、これを直訳したのだとか。
しかし、アメリカはこの短い言葉の中に、マイクテストに必要な英語の発音にある母音や破裂音などの要素をしっかりと全て詰め込んでいたというのだ。
決して、耳障りの良い言葉を選んだのではなく理に適っている言葉。
それを知らずに直訳して使っていた日本は、日本語にとっては向いていないマイクテストの言葉を使ってきた、ということが分かったのだ。
当時の私たちは、日本の間違いを暴いてしまったねと子供らしく盛り上がったりもした。
最近では耳にする機会も減ったように感じるけれど、それでもこうして時々、予期していないタイミングで耳にする「本日は晴天なり」。
マイクテストにはならないようだけれど、秋空に似合う言葉にも思えて、その日の私は窓を開け放ったままにしておくことにした。
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