「今だったら学校での授業をもっと真面目に聞くよね。」
「色々な余裕が持てるのなら、今一番興味があることを勉強し直してみたいよね。」
「とは言っても、無いものねだりのように思うこともあるけれど。」
「授業というより、もう一度、あの頃からやり直してみたいかも。」
「もう一度やり直すのは、もういいや。」
各々の頭の中で各々が抱く様々な妄想を膨らませつつ、そのような話で盛り上がった。
学ぶための時間や環境が与えられていることが、
ありがたいことだということに本当の意味で気が付くのは、
そのような時間や環境が、簡単には手に入らなくなったときなのかもしれない。
ただ、ありがたいことだと頭では分かっていたとしても、
目の前に用意されたそれらに興味が持てないことも、苦手意識が沸くことも、
コンディションが悪いときだって当然ある。
となると、それはそれで成し遂げる努力や忍耐力も必要になってくるわけで。
そう思うと、子どもは子どもで日々、様々なことを学んでいるのだな、と思うし、
その時代を何とか乗り切った今の自分に「上出来だ」と言ってあげたくもなる。
大変なのは、大人も子どもも同じなのかもしれない。
大人になって何かを勉強したいと思うとき、
これまでの経験や知識がベースにあるため、
様々な事柄とリンクさせることができ、理解の幅も広がりやすい。
更に、勉強して得た知識をどう使えばいいのか、どこで使えばいいのか分かったりもする。
そして、この、自分の世界が深く広がっていく感覚や、得たものを使って何かをする感覚、
得たものを使って何かを成し遂げられる感覚や予感、確信は、
経験が少ない子どもでは得られない楽しさや面白さに繋がっている。
大人は、この楽しさや面白さに繋がっていることを無意識のうちに感じているから、
勉強し直したい、勉強してみたい、そのような気持ちになるのかもしれない。
知らないことや分からないことを、知らない、分からないと素直に言える余裕も持ち合わせていて、
学ぶことを純粋に楽しめる。
きっと、それらは、大人の特権のようなものだ。
学校へ行き直さなくたって、
自分のペースで学びたいことを学びたいだけ学べる時代でもある。
少しでも興味が沸いたのなら、その世界を覗いてみるといいのではないかと思うのだ。
続くのか、続かないのか、続けないのか、それはその時の自分が決めればいいこと。
もう既に、自分に対しての言い訳を用意することも、それを使うことも、使わないことも、
自分の想いを叶えることも、自分を満たすことだって出来てしまえる大人になっているのだから。
そのようなことを思ったものだから、
ここ最近、気になっていた世界を覗いてみようかと思い立ち、
とりあえず本を購入してみたワタクシ。
さて、どんな扉が開くのか。
三日坊主になってしまうのか。
何を思うのか。
結果は分からないけれど、このワクワク感を味わえているだけでも十分意味があったようにも思っている。
あなたが持っている大人の特権も、時々、使ってみてはいかがでしょうか。