幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

画面越しのキュートなあの子に首ったけ。

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友人が犬を飼い始めた。

普段はキリッとしているタイプの友人なのだけれど、子犬の、まだまだ体が小さく、縫いぐるみのようにコロンとしたフォルムと友人のそばを片時も離れない姿に、首ったけである。

私も犬を飼っていたことがあり、その気持ちは非常に共感できるところなのだけれど、あまりにも頻繁に画像や動画が送られてくるものだから思わず、送りすぎだと突っ込んだ。

そう言いつつも実際のところは、犬と猫の多頭飼いを夢見ている私も既に、画面を通して友人宅にやってきた新入りに癒されているのだけれど。

そんな私の胸の内を知ってか知らでか、友人の愛が溢れている視線によって撮られた画像や動画を知らせるランプは止む気配がない。

しかし、いつの間にかそのランプの点灯を待っている自分に気付き、友人同様に首ったけなのだと知るのである。

私のライフスタイルを思うと夢の域を出ないその夢を、画面越しに疑似体験させてもらっているようなこの頃だ。

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今では当たり前のように、何かものごとに夢中になっている様子や、誰かに恋心を抱き夢中になることに対して使う「首ったけ」という表現だけれども、

もとは、何かが足もとから首の高さまで積り重なる様子を表現するときに使われていたそうで、首丈(くびたけ)と記されていたという。

意味も現在とは異なっており、積もり積もった借金を表現するときなど、あまり好ましいシチュエーションではない状況に使われていたのだとか。

そんな首丈(くびたけ)という言葉が、装いも新たに?「首ったけ」という言葉で使われるようになったのは江戸時代。

足もとから首の高さまで積り重なる様子がもとになっていることには変わりないのだけれど、

これを、ある対象に対して抱く深い気持ちや、夢中になる様子と重ね合わせて、主に色恋ごとに使われるようになったのだ。

色恋に関する言葉を遡ると、江戸時代に本来の意味から変化を繰り返し、改めて広がり定着したような言葉というものがある。

そのような背景に触れるとき、その時代を生きていた人々の関心ごとが透けて見えてくるようで面白い。

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時代も人も、その時々の時代の空気を纏いながら行きつ戻りつを繰り返し進んでいるけれど、行きつく先は何処なのか。

そのようなことを頭の片隅で思いつつ、今日も友人から送られてくるであろう動画の中のキュートなあの子に首ったけである。

画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/