まだまだ厳しい寒さが続いていますので「春だって言っているけれど、まだ寒いじゃない!」と言ってしまいたくなる日もありますが、節分を終えたら立春です。
私は子どもの頃に、そのようなことを学校の先生だったか、祖母だったのか、母だったのか、記憶は定かではありませんけれど、身近に居た大人へ向けて発した記憶が薄っすらと残っておりますが、
返ってきたのは、立春は、季節が少しずつ春に向かって移り変わる始まりの日なのだから寒くて当たり前というもの。
しかし、大人になり、改めて同じ事を感じている私がおりました。
今度は自分で様々な視点から調べたわけですが、子どもの頃に聞いた話が本当だったことを知る機会となりました。
しかし、良いのか悪いのか、私の中には次の「何ぞや?」が芽生えてしまったのです。
私は節分の日が近づくと神社へ節分のお豆をいただきに行くことがあるのですが、その時に、お豆と一緒に必ずお札を渡されるのです。
そのお札に書かれている文字が「立春大吉」。
ある年のお札にもそう書いてありました。
厄を除けることで幸がやってくるという意味なのか?
いただいた袋の中身を覗きながら、どういう意味だろうと思いながら神社の出口へ向かっていたのですが、聞いた方が早い!と思ってしまった私は踵を返し、掃き掃除をされていた宮司さんの元へ。
お札の扱いとともに厄除けだと簡単に説明していただいたのですが、想定内の返答に、少々物足りなさを感じていたところ、宮司さんは、私の心がワクワクするようなお話を続けてくださいました。
お札に書かれている文字、「立春大吉」は、左右対称の文字。
左右対称ということは、表から見ても裏から見ても同じように見えるということ。
このお札を玄関に貼っておくと、玄関から入ってきた不運(鬼)が振り返った時に、家の中から見ても外から家の中に入るときに見た「立春大吉」の文字を見ることになり、
不運(鬼)が「まだこの家に入っていないではないか」と思い玄関から出ていく仕掛けなのだとか。
良くて来ているお札ではないかと思ったのも束の間、不運(鬼)が振り返らなかったらどうするのだろうという野暮な突っ込みが浮かんだけれど、それはグイッと飲み込み、宮司さんにお礼を伝えて神社を後にしました。
季節や年度は春に始まりますから、季節を分ける節分の豆まきで邪気を払って立春から新年の始まりをという流れは、私たちにとってもうひとつの、大晦日とお正月といったところのようです。
暦とともに、季節とともに、八百万の神々とともに、縁起もゲンも担ぎつつ、日々を楽しみながら重ねていけたならと思います。
「立春大吉」の文字を目にする機会がありました折には、今回のお話を、ちらりと思い出して いただけましたら幸いです。
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