テレビ画面に連続して映し出された「秋」の文字に、体の中に留まっている夏の熱が静かに引いていくような気がした。
そして、過ぎ行く準備を始めた季節にもう少しだけと手を伸ばしてみたくなるのも、あわいの時のお約束のように思う。
既に出来上がっている自分の時間軸のみで過ごしていると、うっかり季節の移り変わりを感じそびれてしまうことがある。
いつ頃からか、それをもったいと感じるようになり、季節を感じられる言葉や歳時記などにきっかけをもらい、その年の、その時々ならではの時間を、ささやかに楽しむようになった。
しかし、その自然の流れ全てを完璧に頭に入れられるわけもなく……、専ら手帳の隅に小さく印字されている、先人たちが残してくれた暦頼りである。
本日8月31日は、二百十日(にひゃくとおか)と呼ばれる雑節(ざっせつ)のひとつで、立春から数えて二百十日目のことである。
旧暦で言うところの8月31日なので、新暦を使って過ごしている私たちのリズムに当てはめると、正確には9月1日、2日辺りの頃となる。
先人たちは、1年をいくつかのパターンを使って細かく区切り、そこに様々な暮らしの知恵や暮らしのメモ、その他にも季節の楽しみ方を記録してくれている。
その中にある二百十日(にひゃくとおか)は、台風が来る日と言われている。
もちろん、毎年この日にピタリと台風がやってくるわけではないのだけれど、八朔の日と共に二百十日(にひゃくとおか)辺りはお天気が崩れやすい傾向にあるため、
稲の収穫を控えている農家の方々は注意をしておくようにという、お知らせを兼ねているのだ。
この二百十日(にひゃくとおか)辺りに、お祭りが行われることがあるけれど、このお祭りは収穫を控えている農作物を無事に収穫できますようにという祈りで、台風や嵐、強風を治めるためにはじめられたものであることが多い。
開催中のお祭りの本来の目的まで確認することは殆どないけれど、お祭りの時期を、先人たちが残してくれた七十二候、二十四節気、雑節などと重ね合わせつつ、ルーツを辿っていくと、お祭り本来の意味が見えることがある。
そして、畏まった儀式として執り行うだけなく、皆で賑やかに楽しみながら農作物の無事を祈るというスタイルをとる柔軟性は、日本人の大らかさにも繋がっているように見える。
本日は、二百十日(にひゃくとおか)。
急なお天気の荒れや強風に気を付けつつ、秋の味覚を無事に楽しむことが出来るよう五穀豊穣に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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