女性は厄介だ。
女性でありながらこのような事を言う私は少しひねくれて映ってしまうだろうか。
しかし、ここで言う「厄介」とはネガティブな意味合いではなく、愛情たっぷりの褒め言葉。
自分自身や周りの様々な感情に共感したり、同調したり、葛藤したり、反省したり、
時に反発したりもする。
歯を食いしばってみたり、涙を堪えてみたり、浮かべてみたり、流してみることだってあるけれど、
次の瞬間には、その場の空気を一瞬にし変えてしまう程の笑顔を解き放つことだってあるし、
単純なことや、ささやかなことで、大きな幸せを静かに嚙みしめていることだってある。
それを外側へ向けて表すことができたり、できなかったりという個人差はあるけれど、
心の中は皆同じで、くるりくるりと様々な想いが巡っている。
私は、そのような女性という存在を、万華鏡みたいでとてもチャーミングだと思うのです。
このように感情に起伏があり、移り気な女性の心の様子を表現した、
「女心と秋の空」ということわざがありますが、
「男心と秋の空」という表現もあるということをご存知でしょうか。
秋はお天気も良くお月見や紅葉狩りといった楽しみもありますが、
意外にもお天気は変わりやすく、空に浮かぶ雲の表情が豊かなのも秋の特徴です。
これを移ろう人の心に喩えて「男心と秋の空」、「女心と秋の空」と言うようになりました。
昔は今ほどの男女平等という世の中ではなく女性は立場も確立されてはいませんでした。
それは、この「男心と秋の空」ということわざからも見て取ることができます。
これは、江戸時代に生まれたことわざなのですが、
当時は、女性の男性に対する心変わりはとても罪深きものだとされる一方で
世間は男性の女性に対する心変わりに関しては少々甘かったようなのです。
このような時代背景が反映され、男性の女性に対する愛情が変わりやすいことを表すことわざとして、この「男心と秋の空」は生まれました。
ですが、現在は「女心と秋の空」の方が馴染み深い気がしませんか?
どのような経緯があったのかと言いますと、江戸時代から時を経る中で幾人もの女性たちの尽力リレーのおかげで、女性の立場も少しずつ確立されていきました。
今の私たちにとっては当たり前のことですが、自分の正直な気持ちを堂々と示し伝え、解き放てる世の中に変化していきました。
女性が自分の事、自分の人生も大切にできるような、大切にしても良い世の中になりました。
すると、ことわざにも変化表れました。
女性の男性に対する心変わりを表現するだけではなく、
女性の様々な感情の変化や物事に対しての移り気な様子を表すことわざとしても、「女心と秋の空」は使われるようになったのです。
現在も、「男心と秋の空」、「女心と秋の空」のどちらを使っても間違いではありません。
どちらとも使うことができるのですが、皆さんはどちらを使いますか?
私は、「女心と秋の空」を使いたいと思っています。
なぜ?って、
女性の立場が確立されていなかった頃から立場を確立するために尽力してくださった、女性たちの証のような気がするのです。
昔の女性も生きている時代は違えど私たちと同じで、心の中は、くるりくるりと万華鏡のように様々な想いが巡っていたはず。
そう思うと、ある意味、女性だってありのままでいいのよ、とことわざ越しに言われているような気がするのです。
様々な感情が湧いてきて余裕を無くしかけたなら、「あぁ、これが女性が持っている万華鏡か」と、
少し肩の力を抜いて、あなたらしさを取り戻してみてくださいませ。