お気に入りの楽曲を見つけるとエンドレスで聴いてしまう癖がある。
その自分の癖が発動する度に、こんなにも聴き続けて、よくもまぁ飽きないものだと、自分に少しばかり呆れもする。
しかし、呆れつつも、そのような楽曲を生み出した作り手のエネルギーや込めたものに圧倒され、
更に、のめり込み、ワクワクさせられて、楽曲の世界観にどっぷり浸るのだ。
ここで言うワクワクは、もちろん前向きな気持ちで心躍らされるという状態のことなのだけれども、
実は、このワクワクという言葉は、明治時代から大正時代辺りにかけては、
前向きな気持ちや嬉しい気持ち、期待感といった気持ちだけでなく、
恐怖や心配、不安、その他のあらゆるネガティブな気持ちや、
それらのどの気持ちにも属さない様々な気持ちに対しても、使われていたと言われている。
今の私たちからすると、少々違和感を覚える使われ方であるようにも感じるのだけれど、その名残私たちの中に在るように思う。
例えば、夏の風物詩でもある怪談話やお化け屋敷、ホラー映画、
他には、遊園地などにある絶叫マシーンの類のものを想像して欲しい。
多少、得手不得手はあると思うのだけれども、
これらを楽しむ前というのは、恐怖や心配、不安といった気持ちを抱いているのだけれど、
怖いもの見たさという挑戦的な気持ちがワクワクに繋がっているように思う。
もっと誰にでも共通する感情と言えば、とても楽しみにしている予定が明日に迫っているとき。
とても嬉しくて楽しくてワクワクするのだけれど、
寝坊しないだろうか、失敗しないだろうか、上手にできるだろうかといった
心配や不安がチラリと顔を覗かせたという経験は誰もが知っている感覚ではないかと思う。
今では、様々な感情がひと回りして、前向きな気持ちで心躍らされる状態に使われることが多いワクワクだけれども、
様々な感情に対して使われていた理由は、「ワクワク」という言葉の語源が「水が湧く」からきていることに関係している。
ワクワクを漢字で記すとしたら湧く湧くとなる。
私が初めてこの語源を知った時は、水が湧いた様子にテンションが上がって出来上がった言葉のように想像してしまったのだけれども、
「水が湧いてテンションが上がった様子」ではなく
「様々な感情が心の中から外側へ向かって湧きだす」状態を水が湧きだす状況と重ね合わせ、
比喩する形で誕生した言葉だった。
本来、ワクワクという気持ちの中には、恐怖や心配、不安、その他のあらゆる気持ちも混ざり合っている。
新しい何かにトライするとき、心配や不安で尻込みしてしまうことがあるけれど、
そのようなときには、心配や不安は、自分がワクワクしているサインでもあることを思い出して、
新しい一歩を踏み出してみるのも良いのではないだろうか。
湧き出す気持ちの中には厄介だと思う気持ちも無いわけではないのだけれど、
それでも、様々な気持ちが途切れることなく、湧き水のように湧いてくるなんて、素敵なことではないかと思う。
そのようなことを思いながら、お気に入りの楽曲の世界観にどっぷり浸る夜。
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