幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

「百聞は一見にしかず」に続きがあることをご存知ですか?

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今日はプライベートで立ち上げている

あるプロジェクト仲間たちとのやり取りの中で

ある言葉を度々耳にした。

あまりにも行き交うものだから

少しおかしくなり「その言葉、使いすぎじゃない?」と漏らしてみる。

ベクトルの異なる自由人たちの中に一瞬の間が生まれた。

 

その時行き交っていたのは「百聞は一見にしかず」ということわざだ。

ある一人が、誰もが知っているであろうこの「ことわざ」には続きがあると言う。

私を含めた数人が聞いたことはあるけれど、

よくは知らないと言うと詳しく解説してくれた。

皆さんは、「百聞は一見にしかず」の続きをご存知ですか?

 

この「ことわざ」は、古代中国の王朝のある将軍の言葉なのだそう。

戦が行われていた際に、

「百聞は一見に及ばない。前線は遠いので戦略を立てることが難しい。

私が馬で前線へ行って、見て、その後に立てた戦略を申し上げたい」

という内容の言葉がもとになったのだとか。

その後、いつからなのか定かではないらしいけれど続きができたようです。

 

『百聞は一見にしかず

(いくら人から聞いても、自分で見なければ本当のことは分からない)

百見は一考にしかず

(いくらたくさん見ても、自分で考えなけれは意味がない)

百考は一行にしかず

(どんなに考えても、「行動」を起こさなければ前には進まない)

百行は一果にしかず

(どんなに行動をするだけでなく、成果を出してこそ意義がある)』

 

堅苦しい言葉を抜いてシンプルに要点だけ搔い摘んでみると

見てみる、考えてみる、行動してみる、成果に結びつける。

ということのようだけれど、

人の世の基本になっていることというのは

昔も、数千年経った今でも、

それほど変わっていないのではないのかな、と思う。

もちろん、時代の流れの中で一時的に出来上がる価値観というものも存在するのだけれど

その一時的な価値観をひと通り体感し終えると、

人は人の世の基本へ帰っていくような気がするのだ。

人が思う大切なことは、本来とてもシンプルなもの。

 

全てはキッカケとほんの少しの勇気のように感じる。

してみたいことを少し離れたところから見ている。

それをすること、してみた時のことを考えてみる。

少しの勇気を出してやってみる。

そこで何かしらを感じられたこと、それ自体が全て成果なのだろう。

 

この言葉が出来た時代は命をかけた戦時代だったこともあって

成果に繋げなければならないというニュアンスを強く感じるけれど、

私の解釈は成功も失敗も含めて、

その過程で感じられたこと全てが次に繋がる成果、なのだと感じている。

 

そのような脱線話に花を咲かせすぎて、

その日の大事な話は何も進まず、決まらずに終わるという

いつもの楽しいひと時だった。

そして私も、新しい「少しの勇気」を出してみようかな。

自分の中で新たに芽生えた、

不安混じりの生まれたての決意をそっと胸の中で抱きしめた。 

 

画像出典:https://jp.pinterest.com/