現在、我が家の冷蔵庫には、購入品、いただき物を含めた3種類の味噌が眠っている。
ほとんどのご家庭に常備されている基礎調味料でありながら、
土地によって、これほどまでに異なる味わいを持っているなんて、非常に興味深いと思う。
私は、引越を繰り返す生活を送ってきているのだけれど、
新しい土地で調味料の買い出しをする際に、
そのラインナップに驚かされることも密かな楽しみのひとつだ。
全国共通のものも陳列してあるのだけれど、
「その他多数」のところに風土色が感じられ、とてもワクワクするのだ。
過去に数回、味噌や醤油を作っている工場にお邪魔したことがあった。
同じ種類の味噌や醤油を作っているのに、
工場によって工場内に漂う香りが大きく異なっていることに静かに感動した記憶がある。
確か、その時のことを記しておいたメモがあったはずなのだけれども……。
そう思って、古いメモを探してみたけれど、古すぎて処分してしまったようだった。
そういえば、日本のことわざには「味噌(みそ)」という言葉が入ったものが多いように思う。
最近私が会話を交わした人から耳にしたのは、「手前味噌」という言葉だった。
味噌工場の方の丁寧且つ情熱的なお話は、また機会がありましたらということにして、
今回は、「手前味噌」の背景のお話を少し、と思っております。
この「手前味噌」は、自分で作った、自宅で作った自家製味噌のことを表しています。
今のように、手ごろな価格帯で安定した味の味噌を買うことができなかった頃は、
各家庭で味噌を作っており、
地域性や各家庭ごとの味が感じられる貴重なものでもあったように思います。
その風土色豊かな味噌、我が家ならではの味噌に対する誇りから、
「手前味噌」「手前味噌を並べる」「味噌を上げる」といった使われ方をするようになったようです。
また、お金が貯まらないことを表す「味噌買う家は蔵が建たぬ」ということわざがありますけれど、
これは、作ることが当たり前である味噌を買っているようでは、
蔵を建てられるようなお金は貯められない、貯まらないという発想からきたことわざだと言います。
今は、美味しいお味噌を大量に作る技術があり、作るよりも安く手軽に購入できるため、
作るご家庭も随分と減っているのではないでしょうか。
そして、ことわざの意味は知っていても、
取り巻く環境の変化から、その発想元まではピンとこない人も増えているように思います。
昔、私の祖母が作ってくれていた味噌は、私には塩味が濃すぎたのだけれど、
味わうことができなくなった今では、あの濃すぎた塩味が少しばかり懐かしくもあります。
そのようなことを徒然と思い出しながら、
少し甘めの味噌を冷蔵庫から取り出した夕飯時でございます。
「お味噌汁は朝の毒消し」とも申します。
手前味噌の背景などもチラリと思いだしつつ、美味しいお味噌を召し上がってみてくださいませ。
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