皆さんのお宅では年越し蕎麦を召し上がりますか?
私の実家でも子供の頃から、もう少しで日付が変わるかなという時間帯になると、父だったり、母だったり、その時に気分が乗っている人がキッチンへ立ち、年越し蕎麦を作ってくれていました。
しかし、作ってもらっておいて勝手なのですが、正直な所、夕方から色々とご馳走を食べて、飲んで、デザートなどもひと通りいただきます。
そして、大晦日という特別な空気に調子にのってしまうのですけれど、その空気が不摂生を大目にみてくれるといいますか、テレビを観ながらお菓子なんかまでも摘まみながら過ごしてしまうわけです。
普段以上に満腹な状態なので当然の如く、「この上お蕎麦なんて食べられない」と思っておりましたし、そう言い放っていました。
年越し蕎麦のお腹を空けてご馳走やデザートをセーブするというテもありますけれど、食べたい物は、自分が十分に美味しいと感じられるタイミングで味わいたい食いしん坊な性格の私に、そのようなセーブが出来るはずもなく。
我ながら学習能力がないなと思いつつ、毎年、家族と同じやり取りを繰り返すのです。
しかし、「縁起物だから少しだけでもいいから食べなさい」という言葉に、少しばかり不機嫌オーラをチラつかせつつ、小さな椀に少しだけお蕎麦を入れてもらい味わう余裕などない状態で、半ば強引に口の中に押し込んでいたのです。
決してお蕎麦嫌いではありません。
お蕎麦って美味しいですしね。
御馳走を食べた後にお蕎麦までいただけるなんて、本来ならば幸せなこと。
「ハレ」の瞬間が私にとっては「ケ」の瞬間になっていたのでしょう。
今思えばこれもまた、ある種、幸せなことだと思います。
そして今の私はと言うと、我が家の大晦日の宴が始まるのは21時過ぎ。
食べる量は減っていたとしても、やはりお蕎麦のお腹は残っていないのです。
しかし、年越し蕎麦の縁起はいただきたいという思いから、子供の頃と変わらない現状に苦笑し、胸の内で子供の頃の出来事を思い出しつつ、小さなお椀に少しだけのお蕎麦をいただくのです。
たっぷりの九条ネギを添えて。
お蕎麦は切れやすい事から「今年一年の厄を断ち切る」という意味で、江戸時代から大晦日の夜に食べる風習が生まれたといいます。
また、お蕎麦を食べると内蔵に溜まった毒素を取り払ってくれると思われていました。
このような理由から、新しい年を健康で迎えられるよう願い、細く長い見た目から長寿を願い、金運が良くなるように願い、皆でお蕎麦をいただいくようになりました。
どうして金運か?
これは、金銀細工師が散らかった金粉を集めるのに蕎麦粉を練ったものを使うので、お蕎麦は金を集める縁起物とされていました。
ネギには「ねぐ」といって「労う」「祈る」という意味もありますから、お嫌いでなければネギも一緒に召し上がってくださいませ。
皆さんは、年越し蕎麦にどのような思い出がありますか。
そして、どのような思い出を積み重ねていらっしゃるのでしょうか。
今年は、どんなお顔で召し上がられるのでしょう。
様々なことがあった1年だと思いますけれど、まずは今年をしっかり締めくくって、新しい1年を笑顔いっぱいの年にしてまいりましょうね。