幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

「自分がしてもらって嬉しかったことを人にもしてあげてみたらどうだろう」そこからスタートしてみてもいいように思うのですが、いかがでしょうか?

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まだ夏本番ではないものの、暑さが増すとつい水浴びをしたくなる。

全身と頭の中を素早くリフレッシュさせることができるため、

私は、この時期から1日に浴びるシャワーの回数が徐々に増えていく。

さすがに冷たい水浴びは体を冷やし過ぎてしまうので

専ら、程よく温たかな温水シャワーだ。

毎回、お気に入りのアロマオイルを浴室の床に数滴垂らして

勢いよくシャワーを出すと蒸気と共にいい香りが浴室と私を包み込む。

本当はじっくりと半身浴を楽しみたいのだけれど、

そこは脳内スケジューリングのお許しが出たときのお楽しみといったところだ。

 

人でもそうなのだから、

自分から水浴びをすることが出来ない室内の植物たちだって

時には思いっきり雨に打たれるが如く水浴びをしてみたいのではないだろうか。

そのような事を考えてしまう私は、

時々、彼らを一鉢、一鉢、浴室へ運び込む。

背丈と重さのある植物が増えてきたため、運び込むだけだというのに重労働だ。

あっというまに浴室内が緑のジャングルとなる。

足の踏み場を探してシャワーを掴み取って冷水を雨のように降らせる。

葉っぱの上に薄っすらと乗っていたホコリが取り除かれ、

弧を描くようにしなっていた葉っぱは心なしか重心が上がり

背筋がピンと伸び背丈が少しだけ伸びるのだ。

そして、ツヤぴかの葉っぱが笑い出す。

水浴びは人だけではなく植物にとっても気持ちいいもののようだ。

水切りもかねて1日観葉植物たちを浴室内に放置し、

夕方になると各部屋の各ポジションに戻すのだけれども、

イキイキとした彼らの表情を見ると少々大変だった重労働も報われるような気がしている。

 

そういえば、子供の頃に

「自分が人にされて嫌なことは人にしてはいけない」

といったようなことを言われた経験はないだろうか。

私自身、胸の奥の方に当たり前のように在る言葉で、ごもっともな教えである。

ただ、大人になってこの言葉を改めて耳にしたときに感じた事がある。

決して否定しているのではないのだけれど、

この表現は、少しばかりネガティブなものだと感じるのだ。

大人になれば、この言葉の真意も深く掘り下げて感じ取ることができるので

多少のネガティブさは経験値がフォローとなるし、

異なる視点からの気づきにも繋がることもある。

だけれども、これから様々な経験を重ねていく幼い子どもたちにとっては、

「自分が何をされたら嫌な気持ちになるのかな?」

というネガティブな想像から始まるわけで……。

それならば、「自分がしてもらって嬉しかったことを人にもしてあげたらどうだろう」

というアプローチから始めた方が心豊かではないだろうかと思ったりする。

「自分が人にされて嫌なことは人にしてはいけない」という視点は

その後でもいいような気がするし、

未熟さゆえに人を傷つけてしまった時といったような

「使いどころ」があるように感じてしまうのだ。

 

自分の水浴びが気持ちよかったので

つい我が家の観葉植物たちも水浴びをさせてしまったのだけれども

相手が誰であろうと、何であろうとも、

向き合っている相手の立場に立てたのなら、

温かいコミュニケーションが始まっていくように思います。

 

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