幸せのレシピ集の中では色に関するお話も様々な視点からさせていただいております。
先日は、古の中国では季節を色で分けており、
季節を表すそれらの色から誕生した言葉、
青春、朱夏、白秋、玄冬にちらりと触れさせていただきました。
春は新緑を連想させる青色(※ここで言う青には緑が含まれています)から青春という言葉が生まれ、
夏は眩しく輝くエネルギッシュな太陽の朱色/赤色から朱夏という言葉が。
秋は紅葉や収穫が終わると鮮やかな色が無くなることから白秋と。
今の季節ですと秋風のことを「色なき風」と言うことがありますが、
これも、古の中国での季節の色分けから由来しています。
そして、冬は雪を降らせるグレーがかった雪雲を黒色と捉え玄冬という言葉が生まれました。
実は、先人たちは、この季節と色の組み合わせを、自分の人生にも重ね合わせていたといいます。
青春と聞くと、キラキラと眩しく、弾けんばかりのエネルギーを感じますよね。
と同時に一抹の危うさのようなものも含んでいたりして。
その相反するものが混在しているような、
子どもでもなく大人にもなりきれていない狭間のようなところが、貴重で魅力的な時間です。
そこを通り過ぎると何だか人生の花が無くなってしまったような気がしてしまうこともあるけれど、
次は芯が太くなった輝きを放つ朱夏という時間が訪れます。
一般的には壮年期などという言葉で表されるでしょうか。
ある種、どのようなことに対しても全力投球ができ、
この時期だからこそできる成功や失敗を全て楽しんで自分を創るような時期。
そして、熟年期を表す白秋と言う時期は、
酸いも甘いも嚙み分けたからこそ見えてくるものがある、自分にとっての収穫の時期。
そして老年期を表す玄冬の時期。
人生を大きな大きな枠で捉えるならば、
このように季節が巡るように自分の人生も巡っていくことも腑に落ちるけれど、
ワタクシは先人たちに直接は申し上げにくのですけれども、
心のどこかでちょっぴり、これってナンセンス、と思っております。
季節は巡る。
ならば、何度だって青春も朱夏も白秋も玄冬も味わえばいいと思うのです。
もちろん初めての青春と二度目の青春は、全く同じではないでしょうけれど、
同じでは芸がありませんものね。
その時々の自分に相応しい青春を何度でも、
そして、その時々に経験したからこそ広がる新たな朱夏、白秋、玄冬期を
自分次第で謳歌できると思う方がワクワクするのですが、いかがでしょう?
ものごとは自分の見方ひとつで様々な色づき方をすると思うのです。
今は玄冬だわ、と言う方は次に巡ってくる季節が楽しみですね。
収穫している方は玄冬期にはじっくりそれらを噛みしめることができるので、
これもまた楽しみですね。
自分の未来は自分が思う以上にキラキラしています。
そのキラキラに気づくことができるように、日々、健やかでいたいものですね。
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