手帳をぺらぺらと捲っていると、ほんのりとした控えめな文字色で次候(じこう)が記されていた。
朔風葉を払う(さくふう、はをはらう)と。
日本の四季である春夏秋冬を24の季節に区切り、その24の季節を更に細かく表現した言葉を二十四節気(にじゅうしせっき)と言う。
これから迎える冬至は、この二十四節気(にじゅうしせっき)の一つにあたる。
この24に区切った季節を更に細かく区切り、季節の風景を動植物の様子を交えながら表現した言葉を、七十二候(しちじゅうにこう)という。
そして、冒頭の次候(じこう)というのは、24に区切った季節を、約5日ごとに更に細かく区切ったものの2番目の期間のことを指している。
言葉で説明していくと、とてもややこしく感じられるのだけれど、
簡単に言うならば、日本には、季節を5日間に区切り、その間を細かく表現するための言葉があるということである。
先人たちは、今の私たちとは異なり、自由な時間がたっぷりとあり、のんびりとした時を重ねていたのだろうと想像しがちなのだけれど、
これだけ細かく季節や自然を感じ、感謝して過ごしていたら、1年という時間もあっという間だったのではないだろうかと推測できる。
季節のイベントを行うにしても、私たちの場合は、社会の中で役割分担ができているため、
必要なものを必要な時季に買い揃えることでイベントを行うことが多いけれど、
日常を送りながら、それらのひとつ、ひとつを自分たちの手で作って準備をするとなれば、きっと時が過ぎるのもあっという間だ。
忙しさの種類は違えど、感じることや思うことは似通っているように思う。
そのようなことを想像していると、いつの時代も隣の芝生は青く見えるものなのだろうと思うのと同時に、
忙しい日々の中で感じる豊かさや自由、ほっとする瞬間は、自分次第で如何様にも。と思えて、
これからやってくる年末の忙しさも何とかなるさと、ささやかな希望が何処からともなくポコポコと湧いてくるような気がした。
そうそう、冒頭の「朔風葉を払う」は、新暦の12月1日頃までを表す次候(じこう)なのだけれど、
ここで言う「朔」とは、「冬」のことを指しており、
冷たい冬の風、北風、木枯らしが、木々の葉を払い落してしまう時季を切り取っている。
葉が全て落ち、しばしの休息期間に入った冬木立を想像すると、淋しげな初冬の風景が浮かぶけれど、
私は、この景色にオレンジ色の夕陽が射し、冬木立のシルエットが切り絵のように浮かぶ初冬の景色もまた、風情が感じられて良いものだと思っている。
暦の上では、朔風葉を払う季節ですが、
秋の深まりを感じている最中の私たちの日常に重ねると、少々違和感を覚える言葉でもあります。
しかし、季節をほんの少し先取りするのは、日本人の粋な感性のひとつ。
少し先の景色を想像しつつ、今しか味わうことができない、艶やかな秋の景色を存分にご堪能下さいませ。
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