先日、帰宅途中に立ち寄ったショップで艶やかなポインセチアと目があった。
他にも多数のそれが並べられていたのだけれど、視線が外せなくなった一鉢を抱き上げるや否や、それをレジに差し出した。
入店してからの一連の行動を見られていたようで、「ポインセチアは他にも立派なものがたくさんありますよ」と声をかけてくださったのだけれど「これを是非」と答えて連れ帰った。
確かに、気持ち小ぶりサイズではあったけれど、きっと我が家で大きく育ってくれるはずである。
それよりも、そのシックで艶やかな、何とも表現し難い魅力的な赤が素敵で、リビングが一気に華やかな冬の空間と化したように思う。
普段は購入したポインセチアに少量のラメパウダーを散らしてクリスマスの装いに仕上げたりもするのだけれど、今年は、薄化粧をパスした、すっぴんポインセチアと過ごす冬である。
冬の空間と言えば「冬座敷」という言葉がある。
これは、先人たちが使ってきた冬の光景を表現した言葉で、冬の季語のひとつだ。
その光景とは、現代人にとっては馴染みが薄くなったものだけれど、障子や屏風などを夏仕様のものから冬仕様に整え直し、火鉢や炬燵も出して、しっかりと暖められた冬の部屋のことである。
私たちは、文明の利器なども活用して、冬支度を簡単に済ませることができるにも関わらず、日々の忙しさから少々面倒に感じることもあるけれど、
先人たちにとって、次の季節を無事に迎えられることは、とてもありがたくて嬉しいことだったのかもしれないと想像したりもする。
無粋な物言いをするならば、冬の厳しい寒さを凌ぐために必要な準備や作業だとも言えるけれど、先人たちはそれもまた、季節の移り変わりを楽しむものとしていたのだろう。
「冬座敷」は、このような準備が全て整った状態を表す冬の季語なのだけれど、そこに至るまでの様子を表す「冬支度」という言葉は秋の季語だと知ったのは、今年初秋の頃である。
「冬」と入れば冬の季語だと安易に思ってしまったけれど、言われてみれば……と静かに頷いた。
他にも「障子貼る・障子を貼る」と言えば秋の季語で「障子」のみとなると冬の季語になるのだとか。
これは、夏の間は風通しを良くするために取り外して納戸にしまっておいた障子を冬支度のために引っ張り出して取り付け直したり、障子紙を張り替えたりとする風習から生まれているようなのだけれど、
障子は古くなった時が張り替え時なのでは?と思っている私には、少々ややこしいと感じる使い分けである。
冬支度の光景も冬座敷の光景も大きく変化してはいるけれど、暮らしの中に、新しい季節を感じられる何かを取り入れることは、気持ちに新しい風が吹くようで楽しい。
「冬座敷」
新しく仲間入りしたポインセチアを眺めつつ、そのようなあれやこれやを思い巡らせた季語である。
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