数年前に友人と食事をしていたときのこと。
とてもゴージャスな器に盛られたサラダが出てきたのです。
新鮮なロメインレタスに、
ニンニク、オリーブオイル、レモン果汁をお塩とコショウで整えたドレッシングがかけられ、
割ればとろーりとした黄身が顔を出す半熟卵と
カリカリのクルトン、パルメザンチーズのトッピングがたまらないハーモニーを奏でる、シーザー・サラダです。
シーザー・サラダという名に負けずとも劣らないゴージャスな器だなと思っていると
友人がこう言ったのです。
「イタリアンを食べにきたのにメキシコのサラダが出てくるなんて、
日本に居れば簡単に世界中を旅できるね」と。
「ん?シーザー・サラダってヨーロッパ辺りのサラダじゃないの?」と返す私に
「え、そこ?その様子じゃジュリアス・シーザーの大好物だとか思ってる?」と友人。
フォークで半熟卵を割り、溢れ出た黄身に若干にやけながら頷くと、
あの俗説に根拠はないのだと言うのです。
わたくし、「なんですと!?根拠がないですって!?ローマ皇帝とサラダは無関係!?」
というような表情を友人に向けたのだと思います。
その日のサラダのおともはシーザーサラダの話題でした。
今回は、そのようなお話をすこし。
わたくしは、このサラダはローマ皇帝・ジュリアス・シーザーと関係のあるサラダだと思って疑わずにいたのですが、
このサラダを作ったのは皇帝ではないシーザーさんでございました。
このサラダが誕生した時、アメリカは禁酒法時代だったようです。
お酒を飲むことができないアメリカ人たちは、
メキシコのある街までお酒を飲みに行っていたのだそう。
その街には、イタリア系移民のシーザーさんが腕を振るうレストランがありました。
レストランは彼の美味しいお料理とお酒を求めるお客さんで賑わっていたのだそう。
ある日、大切なお客様をお迎えする前に、
ほとんどの食材が底をつくという状態になったというのです。
シーザーさんは、このピンチをお店に残っていったあり合わせの食材で乗り切ります。
この時に作ったものが現在のシーザー・サラダの始まり。
あり合わせの食材で作ったサラダだったけれど人気メニューとなり、
以後、「シーザー・サラダ」と呼ばれてアメリカにも伝わったのだそう。
この料理人のシーザーさんは後にオリジナルドレッシングの販売会社を作り、
世界中の人々にドレッシングを届けています。
カルディーニ・ブランドの名で日本でもドレッシングやクルトンなどを購入することができますので、
輸入調味料を扱うお店へ足を運ばれる方の中にはご存知の方もいらっしゃるかもしれないですね。
カルディーニ・ブランドのラベルにはシーザーさんの肖像画がありますので、
手に取る機会がありましたらお顔を確認してみてくださいませ。
シーザー・サラダの背景をいくら覗いてみても、
あのジュリアス・シーザーはどこにも登場しないのです。
私の脳内では皇帝がお抱えの料理人に「これは美味いじゃないか、明日も作ってくれ」
などと言っているところを想像していたものですから妙な気分でございました。
人の想像力というものは、どこまでも膨らむもののようでございます。
シーザー・サラダやシーザードレッシングを召し上がる機会がありましたら、
もう一人のシーザーさんのことを思い出していただけましたら幸いでございます。
今日も良き風が、あなたに“ふわり”吹きますように。