私は夜、眠りにつく前に、その日にあった嬉しい出来事を思い返す。
もちろん、参ったなーとか、あれは失敗したなーというようなことも脳裏を過ぎることはある。
だけれども、夕焼けがマーマレードジャムみたいで美味しそうだったとか、
自分好みのチューリップを連れ帰ってきたこととか、
夕飯に作った肉じゃががとびっきり美味しくできたとか、
何となくお肌の調子が良かったとか、大切な人の声を聞くことができたとか、
それらが、どんなにささやかな出来事であったとしても、
できるだけ、1日の最後は嬉しい出来事で締めくくりたいと思っている。
その日の夜は、昼間に出会った、とても可愛い笑顔を思い返していた。
人もまばらな時間帯の電車に乗った。
貸し切りに近い状態の車内の椅子に腰を下ろすと、
斜め前に体を母親にぴったりとくっつけて座っている女の子がいた。
何度か視線が絡み合ったため、ニッコリと微笑みかけてみると、
女の子もニッコリと微笑み返してくれた。歯が抜けた可愛らしい笑顔で。
大人の歯が生えてくるのか、と微笑ましく思っていると、
女の子はハッとしたような仕草とともに自分の口元を両手で抑えた。
その恥じらう姿も可愛らしかったことを思い返し、
つい、ベッドの中で口元を緩めてしまった。
そう言えば、最近では記念にと、
抜けた乳歯をトゥースケースに入れて保管する方も増えてきているようなのだけれども、
日本では上の歯が抜けた時がには縁の下へ、
下の歯が抜けた時には屋根の上へ放り投げるという風習がある。
この抜けた歯の扱い、実は国によって様々なのだ。
私が暮らしていたイギリスでは、
抜けた歯を枕の下に入れて眠ると、トゥースフェアリーという歯の妖精がやってきて、
抜けた歯とコインと交換してくれるという言い伝えがあった。
実際にコインを忍ばせるのは親なのだけれども、小さな子どもの小さな乳歯。
眠っている子どもを起こさずに枕の下から歯を回収するのは、
何気に大変なのだと聞いていた。
気になるコインの金額は日本円にして小さな駄菓子が1つ買えるかどうか、
そのくらいの金額だったと記憶しているけれど、小さな子どもたちにとっては心躍る臨時収入。
歯が抜けることは楽しみのひとつのようだった。
人によっては、コインではなく、お菓子と交換してもらったという声や、
トゥースフェアリーから手紙をもらったという話も聞いていたので、
子どもたちは、それぞれの思い出を持って大きくなるのだろう。
そして、この風習はフランスにも同じものがあるのだけれど、
どういうわけだかフランスでは、
トゥースフェアリーではなくネズミが抜けた歯をコインと交換してくれると言われていた。
電車で見かけたあの女の子は抜けた歯をどうしたのだろう。
投げ放ったのだろうか、大切に保管しているのだろうか。
そのような事を思っていたら、いつの間にか穏やかで深い眠りに落ちていた。
翌朝、スッキリと目覚めた私が一番に思ったことは、
私の乳歯、今頃どこで、どうなっているのだろう……だった。
慌ただしくも平和で穏やかな1日が始まった。