電車のボックスシートに座りバッグの中を整えていると、
背後から女子高校生たちのヒソヒソ声が聞こえてきた。
特段、気に留めることもなくバッグの中を整えていると、ねぇ、ボヘミアンって何?
そのような声が聞こえてきて思わずバッグの中で動かしていた手を止めてしまった。
その声に釣られたのだろう。
近くに居た幼稚園児もたどたどしく「ボ・ヘ・ミアーン」と可愛らしい声を上げた。
女子高生本人もその周りも、そして幼稚園児の母親も、
それぞれの声が思っていた以上に周囲に通ってしまったことにハッとしたようで、
「しぃー、声が大きい」などと言い笑い合っていた。
現在「ボヘミアン」は、
常識などにとらわれない放浪的な人、自由奔放な人、型破りな人を指したり、
ボヘミア地方に住んでいる人々指す言葉として使われている。
※ボヘミア地方は、チェコの西部地方・中部地方辺り。
あ、民族的な要素やジプシー的なデザイン要素を取り入れたファッションスタイルに使われることもあるため、
そのようなテイストがお好きな方は、こちらのイメージが強いのかもしれない。
この言葉をこうして見てみるとネガティブな要素など全く感じられないのだけれど、
様々な時代背景を持った言葉で、もともとはネガティブな意味合いが含まれていたことがある。
世代によって、この言葉に対して抱くイメージが異なるのは、
その背景を知っているか否か、と言えるのかもしれない。
もともとは、人種差別や迫害、戦争などにより故郷を追われ、
様々な国を渡り歩いている方々をボヘミアンと呼んでいた。
彼らは、自分の故郷に帰ることが出来ないまま様々な土地を渡り歩く生活が続く中、
自分らしさや自分自身の存在意義を徐々に失っていったと言う。
このような時代背景を持っていた言葉なのだけれど、
フランスで、ある芸術家集団が現れるのだ。
彼らは伝統やしきたり、当時の一般的ライフスタイルや常識などにはとらわれず、
またそれらに拘ることもせず、自由にのびのびとした生活を送っていたのだそう。
彼らを見ていた周りの人たちは、芸術家集団の自由な様子を“自由に放浪する人々”、
つまりボヘミアンと重ね合わせ、ボヘミアンアーティストと呼ぶようになったという。
その辺りから徐々に現在のような意味合いへと変わっていった言葉だ。
はっきりとは知らないけれど、何となく知っている言葉というものがある。
そのような言葉には、不思議と何らかのエピソードが含まれていることが多いように思う。
血眼になって、そのような言葉を探す必要は無いけれど、
知っているけれど、今更だけど、これって何ぞや?と感じたならば、
ちらっと覘いてみるのも面白いのではないだろうか。
もちろん、それは言葉に限ったことではなく、日々の暮らしの中で感じた「何だろう?」は、
自分を豊かにしてくれる欠片のひとつ、のように思うのだ。