先日、立て続けに見聞きした「春眠暁を覚えず」という言葉。
日々の至る所で「春」を感じるこの頃だけれど、
毎年、この言葉にも、今が「春」真っ只中だということを感じさせられているように思う。
このフレーズが収められている作品は、
孟浩然(もうこうねん/もうこうぜん)の「春暁(しゅんぎょう)」なのだけれど、
作品名、作者名はすっかり記憶から抜け落ちているにも関わらず、
このフレーズだけは記憶に残っているという方も多いのではないだろうか。
私自身、学生時代に特別深く触れた作品だというわけでは無いし、そもそも漢詩。
自ら手を伸ばさない限り触れる機会は皆無だ。
作品名と作者名も記憶の奥底から、どうにかこうにか引っ張り出せる程度にしか残っていないけれど、
それでも、春が巡ってくる度に、1度はこのフレーズに触れているように思う。
人の記憶に残り続けるフレーズを不思議に思い、どうしてだろうかと考えたこともあったけれど、
納得できるような答えには辿り着けなかった。
そして今年もまた、このフレーズに触れているのである。
私たちはいつの間にか「春眠暁を覚えず」という言葉を、
春の夜明けは心地が良いため、夜が明けたことに気が付かずに寝坊してしまったという訳から、
昼間にうとうとと眠くなる様子や、この時季に襲われる強い睡魔のこと、
お昼寝をしたときの言い分けなどにも使っているのだけれど、
本来は夜の様子が綴られた詩であり、この部分の解釈も複数あるのだ。
ワタクシ、漢詩を間違うことなくお伝えすることに自信がないため、
ざっくりと意訳したものでお伝えすると、「春眠暁を覚えず」は、
「春の夜明けは気候が穏やかで心地良いため、
夜が明けたことに気付かずに寝坊してしまい、鳥のさえずりが聞こえている。
そう言えば、昨夜は激しい雨風の音がしていたから、きっと多くの花が散ってしまったのだろう。」
という内容の詩の中の一部分である。
そして、内容の解釈は複数あると言い、その中には、
夜中の激しい雨風によって、花が散ってしまうのではないかと心配していたら眠れず、
気が付けば朝になっていった。という解釈もあるのだとか。
だけれども、日本人の中に「春眠暁を覚えず」と聞いて、
この解釈を思い浮かべる人は少ないように思う。
これは、私たちのDNAには、四季を感じ分けてきた日本人ならではの肌感覚と
言葉を使い分けるセンスのようなものが既に組み込まれており、
無意識に自分たちが身を置く環境や季節と照らし合わせて
その解釈を取捨選択してきたとも言えるのかもしれない。
気候が穏やかな春は、年齢を問わず心身ともにアクティブになるのと同時に
冬仕様だった体内が春夏仕様にシフトチェンジを行っているため、
体調が揺らいだり、疲れやすく、昼夜を問わず強い眠気に襲われることが増える季節です。
体が付いていかないように感じるときは、
焦らず、年齢かしらと気にすることもせず、体内シフトチェンジ中だということを思い出して、
しっかりとした睡眠を意識したり、お昼寝を活用してみてくださいませ。
それでも、頑張り過ぎてしまう方、無理をしてしまう方は、
1年をパワフルに過ごすために「春眠暁を覚えず」という言葉を上手に使って自分に休息を。