目の前を歩く男性が、移動時間を有効に使おうという算段なのか、慣れた雰囲気を放ちながら次々に電話をかけていた。
活舌の良い大きな声で、食事会か何かの日時を何度も繰り返していたものだから、いつの間にか全く関係がない私までもが、連絡内容を覚えてしまっていた。
メールの一斉送信ではなく、ひとりひとりに電話連絡をするあたり、とても律儀な方なのか、直接伝えなければ安心できない心配症の方なのかなどと、思わず後ろ姿を眺めながら人物像を想像してしまった。
連絡内容以外にも、何度も繰り返されていた言葉があった。
親しい間柄の相手に電話をかける際に使う「もしもし」というフレーズである。
「もしもし」のもとは「申します、申します」や「申し、申し」を省略したものだという。
初めは「申します」「申し」「もし」と、1度のみのスタイルが定番だったけれど、電話回線のコンディションが今の様に安定しておらず、聞き取り難いような場面も多かったそうで、言葉を2度繰り返すようになったという説を見聞きすることがある。
しかし、私が興味深く感じている説は、同じ言葉を度回繰り返しているのは、電話をかけている自分が妖怪でない、幽霊ではないと電話の向こう側に居る相手に伝えるためだというものである。
日本には、妖怪や幽霊は人間に声をかける際、「もし」「おい」などと一度だけ声を掛けると言われていたのだとか。
この声掛けに応えてしまうと人間は命を吸い取られ死んでしまうと考えられており、畑仕事や山仕事などの最中に、遠くで作業をしている仲間や家族に声を掛ける際には、妖怪や幽霊と区別するために、2度呼ぶようにしていたのだそう。
電話も相手が本当に人間なのか分からないシチュエーションなので、「もしもし」「おいおい」といった具合に、同じフレーズを2度繰り返すようになったという説がある。
ちなみに、少々荒っぽい雑な言葉遣いの「おいおい」よりは、丁寧さを含む「申します」がもとなった「もしもし」の方が幅広い相手に対して使うことができる言葉なので、今も残っているように思う。
仕事場で使用することはないけれど、それ以外では誰もが使う「もしもし」という言葉。
呼び掛けの際に使う言葉として存在しているけれど、ほぼ電話口のみで使われている不思議な存在である。
そして、もとは雷除けのおまじないだったという説を持つ「くわばら、くわばら」という言葉も同じ言葉を2度繰り返すけれど、
こうして同じ言葉を2度繰り返すところには、自分が何者であるのかを伝える意味も含まれているのかもしれない、と思ったりも。
そのようなことを思いながら歩いていると、目の前にいたはずの活舌の良い大きな声の男性の姿は消えていた。
どこかの路地へ入っただけのことなのだろうけれど、あれだけ「もしもし」と繰り返していたのだから、彼は人間で間違いないだろうと、少々失礼なことを思いつつ駅へ向かった日。
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