日差しが日に日に力強さを増している。
うっかり日焼け止めを塗り忘れていることに気が付き、
信号待ちの間は木陰で待機することにした。
風がなく穏やかなその日は、木陰の中でもじんわりと体温が上がってくるのを感じた。
この様子では、アッと言う間に初夏真っ只中に身を置くのかもしれないと思いつつ、日除け替わりの枝葉を見上げた。
何という名の木なのかは分からなかったけれど、丸みのある大きくて柔らかそうな葉が茂っていた。
太陽の光に照らされた葉は、葉脈をアーティスティックに浮かび上がらせていたし、
虫に食べられてできた穴は、まるで水玉模様の衣装のようにも見え、
“至る所が美術館”、そのようなことを思った。
軽快なメロディーと共に信号待ちをしていた人たちが一歩を踏み出した。
私も少し出遅れて一歩を踏み出す。
冬のそれよりも、明らかに軽やかで力強く見えるのは、私の気のせいかもしれないけれど、
それでもそう見えてしまうのは、私自身が春の陽気に背中を押され、
普段よりも遠くまで歩いて行けそうな気がしているからだろう。
鞄の中からスマートフォンを取り出してメッセージをしたためながら歩いていると、
1年ほど前に久しぶりに顔を合わせた以前の同僚からメールが届いた。
昨年のその日、知人の結婚式で久しぶりに会えたことを懐かしむメールだった。
その中には、結婚式では参列者全員で讃美歌などを歌う場面があるけれど、
前奏が始まると、どこからともなく聞こえてくる咳払い。
あれ?意外と皆さん歌う準備をするのね、と2人で笑い合ったことが綴られていた。
そして友人は、我が子の入学式で国家を歌う機会があったそうなのだけれども、
その時もピアノ前奏が始まると同時に、至る所から咳払いが聞こえ、
昨年の会話を思い出したのだとか。
私の記憶からはスッポリと抜け落ちているエピソードだったのだけれども、
それらのシチュエーションを思うと、「確かに」と頬が緩んでしまった。
そのタイミングで震えたスマートフォンを覗き込むと着信中の文字。
小さく咳ばらいをした自分に思わず、「私、話す気満々じゃないの」と心の中で突っ込んだ。
小さな咳払いは、“やる気の印”なのかもしれない。
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