信号待ちをしていると、これから暑くなるというのに、
丸裸に近い状態にまで枝葉を切り落とされていく街路樹の剪定作業に目が留まった。
あの街路樹によってできる木陰に、強い日差しから身を守ってもらえていたのに。
そのようなことを思っていると、隣に立っていた見ず知らずのご婦人から、
私の心の内を代弁したような言葉をかけられた。
一度だけ、アイコンタクトを交わしただけで2人の視線は、
立派に育った太い幹を切り落としている剪定作業へ向いていた。
ご婦人は、ひとり言にしては大きな声で、隣に立つ私に話しかけるには小さすぎる声で続けた。
台風による被害が出ないように剪定しているのかもしれないということや、
すぐに葉が生い茂る木なのかもしれないということなど、ご婦人の見解を。
私は、それを聞きながら、感じていることは皆、同じなのかと思った。
ご婦人は、信号が青に変わる一瞬のタイミングで話をキレイにまとめ上げ、
スクランブル交差点を斜めの方角へ向かって去っていった。
私は、枝葉が切り落とされたばかりの道を、強い日差しをダイレクトに受けながら歩いた。
そして、季節を感じる風景も、時代とともに、住んでいる街並みごとに随分と異なるものだと思う。
今は麦の収穫期。
この、麦が実る収穫期辺りを「麦秋(ばくしゅう/むぎあき)」と呼ぶ。
実際には秋を表しているわけではないため、少々紛らわしい言葉でもあるのだけれど、実りの時季という意味として「秋」を使っている。
刈り取られる前の麦畑は、畑を黄金色に染めあげる。
そして、その黄金色をした麦の穂を揺らす風は「麦嵐(むぎあらし)」や「麦の秋風」、「麦の波」などと呼ばれ、
この時季に降る雨は「麦雨(ばくう)」と呼ばれるのだ。
本格的な梅雨が始まる少し前の時季に使われる言葉たち。
使うことができる期間が限定されるこのような言葉は、うっかりしているとあっという間に旬を過ぎ、
使いそびれてしまうことばでもある。
私も、旬の時季に使いそびれることが多いのだけれど、それはきっと、
映像や画像などで目にすることはあっても、
麦畑というものを実際の目で見たことがないからではないだろかと思っている。
これだけ小麦を口にする機会が多いというのに少々複雑だ。
麦の収穫期から感じる次の季節と、街路樹の剪定で感じる次の季節、
どちらの先にも同じ季節があるのだけれど、
その見え方や感じ方もまた、似て非なるものなのかもしれない。
私がイメージしている麦畑の香りは、お日様の香りなのだけれど、実際は、どのような香りがするのだろうか。
麦秋という言葉に触れる度にそのようなことを思う。
今年もまた思い巡らせ、想像の中で感じる麦の秋だ。
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