公園の前を通ると小学生くらいの女の子たちが楽しそうにブランコを漕いでいた。
年々、公園から姿を消していると聞くブランコだけれども、この公園にはあるのだなと思った。
ブランコを最後に漕いだのはいつだろうとふと思う。
思い出せないほど遠い日なのだと悟り、思い出すことを途中で止めた。
時々、緊張から同じ側の両手両足が同時に出てしまったという話を聞くことがあるけれど、
私も、いつの間にかブランコの漕ぎ方を忘れているような気がして、
妙な漕ぎ方にならないだろうかと、これまで気にも留めなかったような心配が頭をかすめた。
いやいやいや、たかだがブランコだ。大丈夫に決まっている。
不要な心配事は、その場で軽やかに一掃するに限る。
その日は、そのようなことを思った。
それからしばらくして、ひょんなことから「ブランコ」が春の季語だと知った。
季節に因んだものであれば季語と言われても頷くことができるのだけれども、
時々、思いもよらないものが季語として定められていたりする。
随分と久しぶりだった「そうなの?でも、どうして?」という気持ち。
気持ちが冷め切る前に、ブランコの世界を覘いてみることにした。
今回のお話コードは「ブランコ」でございます。
お時間ありましたら、のんびりとお付き合いいただけましたら幸いです。
私にとってブランコと言えば、子どもの為の遊具という印象が強かったのだけれども、
本来は、五穀豊穣や子孫繁栄を祈る儀式に儀礼に使われる乗り物であり、
この乗り物には必ず女性が乗るという決まりごとがあったのだそう。
未だ、発祥地は特定できていないようなのだけれども、
古代ギリシャには五穀豊穣を祈って女性がブランコに乗る祭りが行われており、
インドでも、農耕儀式として女性がブランコに乗っていたというのだ。
このような儀式が中国にも伝わり、後に日本にも伝わってきたのだろうと推測されている。
平安初期の頃のことが書かれている書物には、ブランコに似たものに乗る姿が残されていることから、
この頃の日本には既に、ブランコがあったようだ。
そして、五穀豊穣を願い、祈る春の儀式に使われていたことから、
春が連想されるということで、季語として定着しているとのこと。
このブランコの背景を知っていれば、ブランコが春の季語だと、すんなりと記憶に留めておくことができるけれど、
知らなければ、なかなか覚えられない季語のようにも思う。
世界各地で神聖な、大切なものとして扱われていたブランコが、
今も尚、私たちの生活のそばにあるのか……と感慨深い気持ちになったのだけれども、その想像は違っていた。
私たちが慣れ親しんできたブランコは、富国強兵の目的から、
子どもたちの体を強く鍛え、体力も付けさせるために、改めて西洋のブランコを取り入れたのだとか。
平安時代の雅なお遊びの現代版かと想像していた私は、
しばらく、得も言われぬ切なさに包まれてしまった。
まぁ、実状としては雅なお遊びの現代版に似たり寄ったりだと思うのだけれども。
ブランコを目にする機会がありましたら、今回のお話をちらりと思い出していただき、
驚きと切なさを共有していただけましたら幸いです。
本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。
季節の変わり目ですので、皆さんご自愛くださいね。
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