ここ最近、街中の雰囲気がやけにエネルギッシュだと感じていたのだけれど、それもそのはず。
巷は夏休みである。
大人になった誰もが1度は感じるであろう「今の私に、あの頃の時間があったなら」という気持ち、私は未だにチラリと感じることがある。
とは言え、あの頃に戻りたいとは全く思わないのだけれど、
今の私にあれだけの時間があったなら、もっと有意義に使うことが出来る、などと思ってしまうのだ。
とは言え、あの有り余る時間を有意義に使ったり、時に無駄に使ってみたり、そうした中で気付けたことや感じられたこともあったわけで。
大人視点でみたときに、一見、無駄にも見える子どもたちの行動も決して無駄ではないのだと、遠い日を思い起こしてみたりして。
だから、小さなオトモダチに対して「無駄なこともいっぱいしてみればいい」、
そう言い放つ私に友人は「えぇ……分かるけれど、そうだけれど、えぇ……っ」と様々な立ち位置の狭間で右往左往する。
そのようなことを思いながら目的地のカフェへ到着したのだけれど、順番待ちの列ができていた。
その後も、数件覗いてみたけれど、この暑さで、どこも1時間ほどの待ち時間だった。
休憩を諦めかけたとき、意外と空いているファストフード店が目に飛び込んできた。
吸い込まれるようにして店内に入ると、店内にいるお客の大半が、外国人観光客だった。
異国の地では勝手知ったるファストフード店が重宝することがある。それだろうと思った。
飲みものを手に空いた席に座り手帳を広げると、隣の席の男の子から、肘を指先で突かれながら「それ、取って」と声をかけられた。
私の席にあった三角柱型のメニューが気になったようだった。
すると、すかさず母親が息子に対して言った。
「魔法の言葉は何だったかしら?」と。
久しぶりのフレーズに、思わず私も三角柱片手に「魔法の言葉、知ってる?」と男の子に聞いてみた。
この「魔法の言葉は何だったかしら?」というのは英国の母親たちがよく使うフレーズだ。
彼女たちは、誰かに何か頼みごとをするときや、してもらったときに相手に対して言うべき
「お願いします(プリーズ)」と「ありがとう(サンキュー)」を子どもに教えるとき、
「魔法の言葉は何?」と子どもに尋ね、それらの言葉やマナーを習慣化させるのだ。
英国暮らしをしていたときに、「お礼は?」とか、「ちゃんとお願いしなさい」といったストレートな言い方ではないことに触れ、
ある年齢までの子に対しては、強制的なイメージがない、とてもナチュラルな教え方のように感じたことを覚えている。
私は、魔法の言葉を言えた男の子に三角柱のそれを手渡し、少しだけ、そのご家族と言葉を交わした。
その後、私より先にお店を出る彼らを見送ったのだけれども、
私も、相手が誰であろうとも、どのような状況でも“魔法の言葉”を忘れないようにしなくては、と思うのだった。
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