2か月ほど前だっただろうか。
友人から、会話の相手が間違った言葉を使っていると気づいたとき、どんな風に指摘するの?
指摘したら、その場の空気が悪くならない?と尋ねられた。
正しい言葉というものは確かにあるのだけれど、“言葉は生きもの”で、
間違った使われ方をしていた言葉が、時代を経る中で正しい言葉の座を射止めることもある。
友人が話題にしたのは、
その正しい言葉と間違った使われ方の狭間に位置している言葉の話だった。
ざっくりと返事をするならば、
話をしている相手の性格や関係性や、その時々のシチュエーションによって対応は異なる。
ただ、正しい言葉の使い方や本来の意味を知っている人と
知らぬ間に間違った使い方をしている人、
本来の意味を知らない人が居る状況下で会話をする場合、
私は、わざわざ間違いを指摘して、その場の空気を悪くさせたり、
間違った使い方をしている方に恥ずかしい思いをさせる必要はないと思っている。
だから、その方がどのような意味で、その言葉を使っているのかを会話の流れから推測し、
その場に居合わせた人たちと、その話題を気持ちよく共有するために、
私自身が同じ意味の言葉を発する際には、
意味を重視した別の言葉を選び、言い回しを変えて会話に加わると思うのだ。
言い方をかえるならば、
楽しい席で言葉を細かく指摘するなんて野暮なことをする勇気は私には無い。
そう友人に返すと、
友人は、「私のスカートのファスナーが開いているのに気づいていながら教えないのと同じだ。」と言って笑い、
私は、あなたのファスナーが開いていれば、すぐさま耳打ちするけれど、と補足した。
私たちの無駄話はさておき、
幸せのレシピ集では、言葉やお作法のお話をさせていただくこともあり、
その中でも触れているのだけれど、
言葉もお作法も、現時点で正しい、その場で使うに相応しいと言われていることを知っていれば、
もし、誤ったことをしてしまっている方が居たのなら、
その場の状況を見て、その場にいる方が恥ずかしい思いをしないような気遣いや対応ができると思うのだ。
私も、まだまだ知らないことがあり、
シチュエーションによっては緊張したり、あたふたしてしまうことも多々ある。
使い慣れていない知識は、頭の奥から取り出すまでに時間がかかってしまうこともある。
過去には知らぬ間に失敗していたこともあり、
その失敗を気付かぬうちにフォローしていただいた経験も数えきれないほど。
その中で、お作法や言葉の知識は窮屈なものではなく、
どのような場でも、その場に居合わせた方々と自分が心地よく過ごすための道具なのだと思うようになった。
“道具”という表現は少々味気ないけれど、
どのようなシーンでも慌てることなく、自分のお道具箱の中から、
その時々に合ったお作法や言葉というなの道具を取り出し、
自分らしく温かい気持ちで、自分の為、周りの方の為に使えば良いのではないかしら、と思っている。
そのためには、お道具箱の中身のお手入れも必要になってきますので、
これからも、時々、柊希目線ではありますが、
大人のお道具箱内のお手入れを一緒に楽しんでいただけましたら幸いです。