学生の頃、古いカメラで写真を撮ることにはまった時期がある。
きっかけは、カメラマニアの友人だった。
写真好きと一口に言っても、その趣味趣向は様々だ。
私は、接写写真を好んで撮り、そこに様々な加工を加えて遊んでいた。
今思えば、写真は撮るけれど、デザインを作り上げる工程のひとつだったのだろうと思う。
それでも、ファインダーを覗いたときに見える景色や色が好きで、ひっそりと楽しんでいた。
ひょんなことから、そのことを知った友人が、「実は……」と話を私に切り出した。
公言はしていないけれど、自分も写真が好きだということ。
それ以上に古いカメラが好きだということなどを、熱心に語ってくれたように記憶している。
私は、友人の話を聴いたり、古いカメラを取り扱っている店を何度か一緒にのぞきながら、
私ひとりでは知りえなかったであろう世界を、友人の趣味趣向というファインダーを通して知った。
そして、自分の感性とは異なる感覚と視点で同じものを楽しんでいる友人のおかげで、
私自身の写真の楽しみ方も広がったように思う。
現在の私はと言うと、古く貴重なカメラをメンテナンスしていくだけの諸々が備わっていないため、
専ら、スマートフォンに内臓されているカメラが愛用品である。
カメラと言えば、初夏の頃だっただろうか。
小学生の子どもを持つ知人から、子どもの為に久しぶりにインスタントカメラを購入したという話を聞いた。
カメラなのだから写真を撮るために購入したのだろうけれど、
何の為に?と妙な尋ね方をしてしまった自分に気付きつつ、知人の返答を待った。
知人曰く、子どもが修学旅行へ行く際にカメラを持って行くのだけれど、様々なトラブルを未然に防ぐために、
学校からは、カメラを持参する場合は、デジタルカメラではなくインスタントカメラを持参するようにという指示があったのだそう。
しかし、ここには別の問題があったというのだ。
物心ついたときから、いや、物心つく前からデジタルカメラやスマートフォン等のカメラ機能に触れてきた子供たちにとって、
カメラのファインダーを覗き込んで写真を撮るということに、非常に違和感を覚えることだったのだそう。
しかも、自分が撮ったものが、本当に撮れているのか、いないのか、
その場で確認できないことに対しても、腑に落ちない様子だったという。
だから知人は、修学旅行へ行く前に念の為と、インスタントカメラの扱い方を練習させたと言っていた。
子どものリアクションは、当然と言えば当然なのだけれど、
その子たちが、写真の現像に立ち会ったなら、どのようなことを感じるのだろうか、と思った。
ただただ、面倒くさいと感じるのか、そのアナログな過程に新鮮味を感じるのか。
誰かひとりでも、その工程に魅せられる子どもがいれば、
アナログもハイテクの世の中に残っていけるのかもしれない。
それにしても、ファインダーを覗き込むことに違和感だなんて、何とも斬新な感覚である。
しかし、それもまた、ファインダーを覗き込む必要がなくなった時の違和感と似ているのだろう。
そのようなことを思いながら、偶然見つけた随分と古いインスタントカメラを現像に出すべきか否か悩む午後である。
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