今年も夏祭りや花火大会の情報が目に、耳に入ってくる時季になった。
今年は何回、浴衣に袖を通すことができるだろうか、
と思いながら浴衣や帯などに、ひと通り目を通した。
陽も沈みかけた頃、外の空気を吸いたくなり自宅を出た。
オレンジ色を帯びたピンク色の夕焼けがあまりにもきれいで、思わず写真を撮る。
写真を撮っただけでは感動が収まらず、友人に送ってみた。
友人からは、「きれいだけど、そのきれいさは、ちょっと不気味な感じもする」と返ってきた。
眺める人によっては不気味な印象をも与える自然の色。
この相反するものを内包している様に、私はつい引き込まれてしまうのだ。
そして、だから敵わないのだろうな、自然の色には。といつも思う。
駅のそばでは、夏のイベントが開催されているようだった。
夜店から漂う甘辛いソースのにおいとアスファルトから立ち上る昼間の熱の狭間で
少しばかりクラクラとしながら散策した。
すると、突然、子どもたちの泣きわめく声が辺りに広がった。
何ごとだろうと思っていると、
大きな獅子舞が小さな子どもたちの頭を片っ端からかぷっと噛んで回っていた。
子どもたちの本気の泣き顔と大人たちの笑顔が入り混じった
シュールな光景がそこに広がっていた。
縁起物とは言え、私もあの手のものは苦手だった。
大きな歯を無駄にガチガチと鳴らしながら近づいてきて、
こちらの都合を尋ねることなく突然かぷっと噛みついてくるなんて、
何てデリカシーのない獅子舞だ、と密かに思っていたもの。
そのような事を思いながら大人になったものだから、
そもそも獅子舞とは何?
何故に子どもは頭を差し出さないといけないのかしら?
という素朴な疑問を追ったことがある。
獅子舞発祥の地は、インド説と中国説があったけれど、
獅子は、百獣の王と呼ばれているライオンのことを指しており、
ライオンを霊獣として敬畏したことが獅子舞の始まりなのだそう。
この獅子舞が日本に伝わったのは室町時代で、
邪気や疫病などを祓ってくれるといった意味で親しまれてきた。
獅子は、人の頭に噛み付くことで、
その人に付いている邪気を食べ祓ってくれると言われており、
特に子どもたちには大きなご利益をもたらしてくれるそうで、
子どもを狙って、いや、優先的にと言った方がいいだろうか。
子どもたちの頭目がけてやってくるのだといわれている。
他にも、獅子が「噛み付く」という言葉の響きは、「神付く」とも取れるため
言葉の響きからも縁起が良いとされ愛され続けているのだそう。
このような事を知っても、
やはり急に獅子舞が近づいてきたら体にギュッと力が入ってしまう。
いい大人なのに、だ。
もしかしたら、私は既に忘れてしまっているけれど、
幼き頃に、獅子舞に泣かされたことがあるのではないだろうか。
そのような事が頭を過ぎった。
時に体は本人が忘れてしまっていることを覚えているものだ。
今度、母に聞いてみよう。
獅子舞に遭遇した際には、
自分の邪気を食べていただいてみてはいかがでしょうか。