いつだっただろうか。
テレビ番組だったのか、紙面で目にしたのか忘れてしまったけれど、
日本の木造建築の技術に魅せられた外国人の方が、歴史的な木造建築物の細部を挙げながら、
日本の建築技術の素晴らしさを熱く語っている様子を目にしたことがある。
私は、そのマニアックな着眼点を面白いと感じ、彼が自由に感じ語る、日本の素晴らしい技術を外国の方の視点を借りて数多く知ることができた。
その中で彼は特に、木材に凹凸を作り、それをはめ込んで組み立てる建築法や、
機械を使わずに職人の技術だけで作られる、その完璧な凹凸を魔法みたいだと大絶賛していた。
この技術は、家具や雑貨などにも使われているため、日本人にとっては知らぬ間にお世話になっている技術だけれど、
確かに、釘を使わないこの手法は、職人技術だけではなく、
木材の性質や知識、その土地の気候を熟知しておかなくてはいけないため、
私も改めて、素晴らしい技術だと思った。
正しい年代は記憶していないのだけれども、確か、鎌倉時代にこの凹凸をはめ込む建築法に、
釘を合わせ使うことで、より強度を上げるようになったのだと、観光で訪れた、何処ぞのお城で知った記憶がある。
念には念を、という日本人らしい慎重な仕事っぷりである。
そして、この日本人らしい慎重で丁寧な仕事っぷりが、「釘を刺す」という言葉の語源だという。
日本語を勉強している外国人の知人に「釘を刺す」とはどのような意味かと尋ねられたことがある。
知人は必ず、直訳と言い回された本当の意味を尋ねてくるため、
正直なところ、毎回その両方を辞書を引きつつ説明することを厄介だと感じることもあったのだけれど、
「釘を刺す」という言葉の直訳を伝えたときに、日本人にしては物騒な物言いだと言っていたのが印象的だった。
当時の私には、この建築技術の変化に関する知識が無かったため、言葉の意味を伝えることしかできなかったけれど、
「念には念を」という日本人らしい仕事っぷりが背景にあるのだと説明できたなら、
知人の、日本のことを知りたいいう知識欲を、もっと満たしてあげられたのではないだろうかと、今更ながら思ったりもする。
そして、「教えてあげる」ということは、「教えてもらうこと」だとも。
そのようなことを思い出しながら、部屋の片隅に落ちていた釘を拾い上げたのだけれども、
果たしてあの釘は、何の釘なのだろうか。どこに使われていた釘だろうか。
釘が一本抜けたくらいでは大差ないだろうと、日本技術を信頼した日。
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