あっという間に12月。
「今年こそは早々に」と思っていた年賀状だけれども、まだ手を付ける気配がない。
このままでは、今年も例年通り、駆け込むようにしてポストに投函することになりそうだ。
そして、デスク端に置いてある、年内に済ませなくてはいけない案件が詰め込まれているボックス。
これを覗き込む勇気が起きず、見て見ぬふりをしているのだけれど、
そろそろ、両の目でしっかり見なくては、と自分を奮い立たせながら
手帳に書かれているスケジュールを指でなぞった。
こうして今年も、いつもの師走がやってきて、少しずつ私のメンタルにちょっかいを出し始めた。
ただ、いつもと少し違うのは、今年は、人生12回目の引越をしたのだけれど、
その時に、今年の大掃除の手間を最小限に抑えられるよう、
家中をベストコンディションに仕上げ、その状態を何とかキープし続けているため、
大掃除からは逃れられそうな気がしていること。
そして、これがこの時期、唯一の救いとなっている。
12月は「師走(しわす)」とも呼ばれているけれど、
和風月名の中で一番、現代人に馴染んでいるのは、この師走ではないだろうか。
師走の由来は諸説あり、どれも「定かではない」という前置きが付きはするものの、
12月はお坊さんが仏事で慌ただしく駆け回り、師匠さえも忙しく仕事を納める。
この様子が「師走(しわす)」の由来だと言う説が一般的だけれども、
現代人に通じる景色がそこにあるからこそ、
旧暦と新暦の12月が違和感なく重なり合っているように思う。
他にも、当て字ではあるけれど日本書紀や万葉集などの書物には、
12月のことを「十有二月」と書いて「シハス」と呼んでいたとされる記述が残っており、
日本書紀当時から12月の事を「シハス」と呼んでいたことが分かっている。
そして、この記述をもとに「シハス」を師走にあてたという説もある。
どちらも由来として十分に頷けることから、
私個人としては、どちらか片方が正解というわけではなく、
双方が融解し合い「師走」と書いて「しわす/しはす」と呼ぶようになったような気もしている。
本来であれば、師走(しわす)は、
今で言う12月下旬の年末から2月上旬頃のことだけれども
旧暦の季節の分け方は3か月で区切るため、冬は10月、11月、12月。
私たちにとっては、これからが冬本番という感覚だけれども、
この区切りに当てはめてみると12月は旧暦で冬の最後の月にあたるため、
晩冬(ばんとう)と呼ばれたり、
冬の3番目の月という意味で三冬月(みふゆづき)と呼ばれることもある。
また、3番目の月ということは次の季節がすぐそばまで来ているということでもあり、
12月のことを春待月(はるまちづき)と呼ぶこともあるのだ。
この辺りの呼び方は、同じ12月を表しているとはいえ旧暦と新暦のずれを肌や感覚で感じるけれど、
師走(しわす)だけは、妙にしっくりくるように思う。
私たちが師走(しわす)という言葉を使うとき、
私たちは先人たちと慌ただしさを共感し合っているのかもしれない。
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