迷路のような駅構内を歩きながら、構内に設置してあるコインロッカーの数が随分と増えたように感じた。
オリンピックを見越してのことなのか、利用説明も様々な国の言葉で記されている。
広いスペースの壁に沿うようにしてコの字に配置してあったコインロッカーは、それらがロッカーであることを感じさせない、圧迫感なしの出で立ちで、思わず「おぉーっ」と心の中で声を上げた。
ちょうどそのとき、少し先の自動販売機前で盛り上がる外国人を発見した。
彼らはテンション高めといった様子で自動販売機と写真撮影をしたり、飲み物を購入する様子を動画に収めたり、“海外旅行満喫中”という見えない看板を背負っているように見えた。
横を通る際に横目で自動販売機を見てみると、日本では珍しくない喋る自動販売機であった。
自動販売機が喋っている内容を彼らが理解しているかどうかまでは分からなかったけれど、当たりが出ればもう一本貰えるという類のものだった。
飲み物1本を購入するだけで、あんなにも盛り上がってくれたなら作り手冥利に尽きるだろうなどと思った。
日本には様々な自動販売機が至る所に設置してあるけれど、この設置数は世界トップレベルだと海外の記事で読んだことがある。
更にその記事には、日本は治安が良いから、このような機械を至る所に設置できるのだと書いてあった。
そう言われるまで意識することは無かったのだけれど、確かに外国にある自動販売機はどこにでも置かれているものではない。
置かれていたとしても、都心や限られた観光地などは別として設置場所によっては、鉄格子のようなものの中に収納されたようなスタイルで置かれているものもあり、利用しようという気分を掻き消されるようなこともあった。
そして、利用する、しない以前に、本当に商品が出てくるのか否かという一種の賭けのようなものでもあった。
私も何度もコインを無駄にしてしまったことがあるのだけれど、お金と引き換えに商品が出てきて、おつりも間違わずに出てくる機械を作る技術そのものが、非常に価値あるもののようだ。
しかも、温かいものは温かく、冷たいものは冷たい状態で保管されていて、出てきた商品が腐っているということも無いという安心感。
これが日常化している日本の生活は、ある人たちから見ると、とても感動的なことのようだ。
年が明けてしばらく経った頃、ヨーロッパで暮らしている日本人の友人も日本の便利な生活が恋しいと言っていた。
更に、不便な生活も暮らしていれば慣れてくるし、知恵もついてはくるけれど、
知らない土地で暮らすということは、良い面も悪い面も受け入れる覚悟が無ければ難しいとも。
みなまで言う友人ではないため、友人の悲喜こもごもの中身までは分からないけれど、
大なり小なり慣れ親しんだ環境が変わったり、関わる相手が変わったりするときには、その両面を受け入れる覚悟のようなものが必要なのかもしれない。
頭では分かっていても、そう易々とはいかない現実もゼロではないのだけれど。
それにしても、日本の自動販売機の中身は、飲み物から日用品、玩具まで豊富なバリエーションである。
外国のものや自分以外のものを、トレンドとして取り入れたり、追いかけたりすることが多いけれど、
私たちは、世界や外側に発信できるものを、既にたくさん手にしていることに気が付いても良いのではないかと思ったりもする。
そのようなことにポツリポツリと思いを巡らせながら電車に飛び乗った日。
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