キノコをふんだんに使ったメニューを目にすると秋を感じるのだけれど、よくよくキノコの種類を見てみると、一年を通して目にしているキノコばかりということがある。
そこに気が付くと、なんて私は単純なのだろうかと思ったりもするのだけれど、季節を感じるきっかけは、それくらい単純でもいいではないかと思うこの頃である。
しかし、松茸を目にするようになると、やはり秋の雰囲気はぐっと増す。
特段、マツタケフリークという訳ではないのだけれど、やはり秋の味覚を代表する一品という印象が強いのだろう。
マツタケは、その奥深い香りに魅了されるけれど、香りの好みが異なるヨーロッパの方から見たマツタケは、日本人が感じているほど魅力的なキノコではないと聞き、ヨーロッパでキノコの王様と言えば何かと尋ねたことがある。
返ってきた答えはセップという名のキノコだった。
セップはフランス語なのだけれど、このキノコはイタリアではポルチーニと呼ばれているという。
日本ではポルチーニ茸の名前の方が浸透しているけれど、フレッシュなものを口にする機会は非常に少なく、食すそのほとんどが乾燥した輸入品という傾向になる。
これは、このセップ(ポルチーニ)を人口栽培することが非常に難しいキノコで、入手するには、自生したものを見つける以外の方法がないため高値が付けられ貴重なキノコとして扱われているかあらだ。
日本にも生えているところには生えているキノコだと聞くけれど、日本にはセップ(ポルチーニ)を食す習慣がなかったため、人間に食べられることなく自然へ還っていくキノコなのだそう。
ポルチーニ茸は、とても深くて濃い味わいがありイタリアンやフレンチのメニューで使われる。
口にすることができると嬉しい食材ではあるのだけれど、私は若干の苦手意識をもっているキノコでもある。
外国暮らしの中で、おつかいを頼まれる機会があり、セップ(ポルチーニ)を買いに行ったことがある。
セップ(ポルチーニ)は人の手が加えられていない天然ものばかりなので、店頭ではセップ(ポルチーニ)を半分にカットし「軸部分に虫はいませんよ」と知らせている店が多い。
しかし、その1本に虫がいないからと言って店頭のセップ(ポルチーニ)全てがそうだとは限らない。
恐る恐るセップ(ポルチーニ)を選び取っておつかえを無事に終えたと思いきや、私が選んだセップのほとんどが虫食いに遭っていたことがあった。
そのような経験を幾度か重ねてしまい、周りからは“セップ選びのセンス無し”のレッテルを貼られることとなった。
しかし、そんな不名誉なレッテルよりも、調理前に目にする虫の存在が衝撃的だったものだから、それ以来私は、セップ(ポルチーニ)を見聞きすると身構えてしまうのだ。
フレッシュなセップ(ポルチーニ)が採れる時期は限られていますので、日本で口にできる機会もそう多くはない。
しかし、この時期はフランス展やイタリア展といった催事場で、稀に出会うことがある。
今年は、乾燥ものではなくフレッシュなセップ(ポルチーニ)をバターソテーで堪能したいところなのだけれど、自分の目利きの無さを心配しているところである。
松茸などもそうだけれど、物に対して感じるスペシャル感は人それぞれ。
自分が思う秋の味覚をひとつずつ、移り行く季節と共にご堪能くださいませ。
そして、その中で、セップ(ポルチーニ)を食す機会があったり、興味を持った際には、今回のお話と共に貴重な味を噛み締めてみてはいかがでしょうか。
いつも、幸せのレシピ集へ足を運んで下さっている皆様、ありがとうございます。
本日も、心晴れやかな1日になりますように☆彡
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