幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

消えた一の腕の行方を追って。

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知人とくだらないメッセージのやり取りをしながら、米粉のパンケーキを焼いていたときのことである。

「これもくだらない話だけど、第一関節って指先から一番目の関節のことなのか、指の根元から数えて一番目の関節なのか、ふと迷うことがある。」とあった。

パンケーキの表面に浮かび上がる気泡を確認しながら「あー、私もある」と思った。

この手の、間違う理由が見当たらないようなものごとに限って、少し真剣に向き合った途端、妙な迷いを抱かせる迷宮の扉が開くのである。

更に私は、「二の腕などと呼ぶ、お肉が付きやすい部位があるけれど、それならば一の腕と呼ばれる部位は何処へ」と感じていたことも思い出し、焼きあがったパンケーキをお皿に移した後、そう返した。

知人とのやり取りは直ぐに終了したのだけれど、「一の腕の行方」が気になり調べてみることにした。

結論から言えば、これが正解と言い切ることができるほど、明確な回答には辿り着くことができていないのだけれど、多くの人の目に留まるであろう一説には、「その昔は一の腕と呼ばれる部位もあった」とある。

今回は、そのようなお話を少し。

要点だけサクッと摘まみ食いをするような気分で、お付き合いいただけましたら幸いです。

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私たちにとっての「二の腕」とは、肩から肘までの部位を指し、現在、「一の腕」と呼ばれる部位は存在しない。

しかし、古くは、肩から肘までの部位を「一の腕」、肘から手首までの部位を「二の腕」と呼んでいたことがあったのだとか。

そして、時代を経る中で「一の腕」と呼ばれていた肩から肘までの部位が、「二の腕」と誤った呼ばれ方をされたまま定着し、現在に至っているという説がある。

ただ、日本語をポルトガル語に訳した古い辞書の中でのみ、肩から肘までの部位を「二の腕」と表記しているそうで、人々が誤って呼ぶようになったというよりは、この辞書の翻訳が誤りだったのではないか、という考えが有力のようだ。

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ただ、誤用云々の前に、指の関節もそうだけれど、先端から数えることが自然な流れになっていること思うと、手首から肘までの部位を「一の腕」と呼び、肘から肩までの部位を「二の腕」と呼んでいた。

これが時代を経る中で「一の腕」を呼ぶ機会が減り、「二の腕」だけが残っているという見方が自然であるようにも思う。

そもそも「腕」という表現だけでも十分だと思うのだけれど、何故に「二の腕」という呼び方だけが、これほどまでに存在感を放っているのだろうか。

もしかして、女性が気にする二の腕問題は古からもあり、これが少なからず影響を与えているのではないだろうかと、思ったりもして。

そして、辞書に記されていることは正しいものだと思い込んでいるけれど、生きていれば「辞書にだって時には、ね。」ということもあるのである。

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ふと、「一の腕」という呼び方が復活する日はくるだろうかと思ったけれど、多分、来ないだろう。

だって、「ニノウデ」と違い「イチノウデ」という発音は何となく呼び難いんだもの。

パンケーキを口に運びながら、消えた一の腕の行方を追っていたはずなのに、一の腕の呼び名が消えたワケが分かったような気がした。

「二の腕」の話題に触れる機会がありました際には、今回のお話の何かしらを頭の片隅でちらりと思い出していただけましたら幸いです。

そして、知人と私のよく分からぬ名誉のために小声で付け加えておこう。

この日は、くだらない話に終始していた訳ではなく、中身ある話もちらりほらりとあったことを。

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