見るからに新鮮だと分かるお刺身は、心静かにテンションがあがる。
新鮮な魚が手に入る地域は国外にも多々あるけれど、鮮魚を安全に、安心して生で食べられるように施される様々な処理の技術が抜きんでているのは日本だけだ。
そのことを知らなければ、当たり前のように「生魚を食べるなんて信じられない」といったリアクションが出るのだろうと思う。
しかし、日本へ足を運んだ経験や住んだ経験がある外国の方は、その辺りのことを熟知している方が多く、日本へ行ったならば寿司や刺身を経験するべきだ、そのようなことを言う方も少なくない。
私も、外国暮らしを終えて帰国したときに口にしたお刺身やお寿司の美味しさに感動したことは、今でも記憶の片隅に残っている。
そして、その記憶には自分でも驚くほどに感動したことだけでなく、そんな私の様子を見ていた周りの「そんなに美味しく感じるの?」という表情も一緒に刻まれている。
お刺身と言えば、いつだったか、この語源を教えてくださった板前さんがいた。
当時の私は、刺身は、魚の身を切ったものなのだから切り身でもいいのではないか?そのような話なのかと思い、
武家社会に度々登場する「切る」という言葉は切腹を連想させるから縁起が悪いといいう考えから、切るのではなく包丁を刺すという言い回しが選ばれて「刺身」と呼んでいるのでは?と、
どこかで見聞きしたような話から推測するも、「切る」も「刺す」も切腹に繋がるような気がして、直ぐにそれを飲み込んだ。
後に、この武家社会が絡む説もあると見聞きしたのだけれど、板前さんから教えていただいた説は、
魚は、捌いて細かく切り身にしてしまったら何という魚なのか分からないため、魚のヒレを串に刺したものを切り身の一部に刺しておくことで、その魚が何という魚なのか分かるよう目印にしていた。というものだった。
今で言うところの、商品をアピールするポップのような役目である。
そして、このような目印を切り身に付けるようになった流れから「刺身」という名前が生まれ、今に至っているという。
今のように、誰かの手によって既に捌かれた魚を買うことが多い私たちは、魚のヒレで作られたポップが立っていても、その魚が何という魚なのか、全てを言い当てるのは難しいようにも思うけれど、
魚本来の姿を知っていることが当たり前のような時代であれば、わざわざ手書きしたり、印字したりしたポップがなくても、ヒレひとつで事足りたということなのだろう。
今となっては衛生面などクリアしなくてはいけないポイントが多々あって、魚のヒレで作られたポップを目にする機会はないように思いますので、お刺身を召し上がる機会がありました際には、今回のお話をちらりと思い出していただき、脳内でオリジナルのヒレポップを想像していただけましたら幸いです。
本日も、口福な食卓でありますように☆彡
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