店先に出してあった盛り塩に目が留まった。
珍しい光景ではないけれど、その日目にした盛り塩は十数センチほどの高さがあり、ひと際目立っていたものだから、お店を通りすぎるギリギリまで盛り塩を視界の端に捉え続けていた。
盛り塩から受けた衝撃が思う以上に大きかったのか、店を通り過ぎた後も、お客様をお迎えするにあたり、場を清めておくという「おもてなし」の心が少々強く表れてしまったのだろうか。
私が知らぬところで「盛り塩チャレンジ」なるイベントでも行われているのだろうか。
あるいは、それほどまでに清めたい何かがあるのだろうか……と様々な憶測が脳内を行き交った。
そして、憶測を巡らせることに飽きた頃、いつぞやかに耳にした、盛り塩は清めるためだけのものではないという話を思い出した。
日本では古から、塩にはお清めの力があると言われている。
この始まりを辿ると、イザナギノミコトが黄泉の国へ行った際に、このときの穢れを祓うために行った「潮禊(しおみそぎ)」と呼ばれるお祓いに辿り着くという説がある。
「潮禊(しおみそぎ)」は文字のとおり海水で体を洗って清めるのだけれど、この「潮禊(しおみそぎ)」が、体を水で洗って清める方法と、体を塩で清める方法に分かれて伝わり、塩そのものにも穢れを祓う力があるという考えに至ったという話だ。
しかし、中国には盛り塩にまつわる、このような話もある。
時は古く、三国時代と呼ばれる頃に国を治めていたある皇帝の話である。
この皇帝は、全国土から3000~5000人以上もの宮女を召し上げて、気が向くままに女性の元を訪れていたのだとか。
女性たちの多くは、自分の一族や村の存続や繁栄のために宮中に来ていたため、何としても自分が皇帝に気に入られなければという思いから、互いをライバル視することも少なくなかったという。
皇帝は、このような女性たちの状況を考慮してのことなのか、自分を乗せた車を牽く牛だったか羊だったか……、この部分の記憶は曖昧なのだけれど、車を牽く動物が止まった家に住む女性の元を訪れることにしたのだ。
そうとなれば、女性たちは、どうすれば牛や羊が自宅前に止まってくれるか考えるわけで。
その結果、彼女たちは、皇帝の車を牽いている動物は塩を好むという噂から、家の前に盛り塩をしておくようになったという。
この盛り塩には、それなりの効果があったことから、後に「盛り塩は皇帝を呼び寄せる→盛り塩はお客様を呼び寄せる」という、縁起を担ぐ意味でも盛り塩が使われるようになったそうだ。
日本の店先に置いてある盛り塩は、これらの話が合わさって、清めた場にお越しいただくという「おもてなしの心」とお客様を呼びよせる「商売繁盛」の合わせ技のようだ。
あの日、私が目にした盛り塩を今一度思い返すと、おもてなしの心も商売繁盛を願う心もたっぷりといった見た目をしていたように思う。
私個人の勝手な好みとしては、豪快すぎる盛り塩よりも控えめな盛り塩の方がいい塩梅に見えるのだけれど。
豪快な盛り塩を前に、そのようなことを思い出した日。
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