凍らせておいたブドウとブルーベリーを冷凍庫から取り出し、調理の合間に摘まんだ。
カチカチに凍っているそれも、摘まみ上げて口の中に放り込むと、いい塩梅に溶け、シャリシャリとした夏らしい食感と、フルーツの美味しさが凝縮された果汁がジュワッと口の中に広がった。
そして、シャーベット状のフルーツが、体の真ん中を落ちていきながら余計な熱を取り除いてくれる、何とも心地良いキッチンでの摘まみ食いである。
お行儀を度外視して素手で摘まみ上げたため、いつの間にか指先はブルーベリー色に染まっていた。
この色素、とても落ちにくく、お洋服や白いキッチンテーブルについてしまうと厄介なのだけれど、今回は指先。
このくらい余裕だわと続けてブルーベリーを摘まんでいたら、石鹸でも落ちないほど鮮やかな紫色の色素が指先をしっかり染めていた。
指先に付いたブルーベリーの色を眺めながら思い出したのは、英国で経験したブラックベリー摘みである。
ある日、知人のご実家がある田舎町にお招きいただいた。
到着するや否や、挨拶もそこそこに「ブラックベリーを摘みにいかない?」と知人のご両親に言われたのだ。
考える時間も断る理由もなく、身支度を整え直し私たちはボウルをお手に家を出た。
私は、いちご狩りのように整えられたブラックベリー農園でブラックベリーを摘むのだろうと想像していたのだけれど、「着いたわよ」と言われたそこは近所の森の中だった。
いちご狩りスタイルではなく、山菜摘みやキノコ狩りスタイルで行うブラックベリー摘みだったのだ。
森の中とは言え、必要最低限の歩道整備が施されており、人の往来もある場所だという。
摘み取るブラックベリーを確認した後、知人のお父様から注意事項が伝えられた。
ここは、愛犬の散歩道にもなっている場所だかあら、ブラックベリーは出来るだけ歩道から森の奥へ入った場所のものを摘むこと。
地面近くに出来たブラックベリーではなく、地面から離れた上部のものを摘むこと。
赤や黄色のものには未熟ものなので触れず、真黒に色づいたものに触れ、その中でポロリと簡単に取れる状態のものを選んで摘むこと、というものだ。
初めての経験で、私のボウルはなかなか満ちなかったけれど、ブラックベリーだけに集中する時間は心地良く、周りにも気を配りながら摘まないと森の中で迷子になってしまうような気がした。
持ち帰ったブラックベリーは、日本で言うところの寿司桶の巨大バージョンのような木の器に入れ、レモン水で何度もすすいで汚れを取り除いた。
そのまま食べる分を取り分け、残りはジャムやシロップ、タルトなどに生まれ変わった。
ふらりと森へ行き、野生のブラックベリー摘んできて調理する。
日本でも経験できないわけではないのだけれど、その一連の出来事は彼らにとって特別なイベントなどではなく生活の一部だという空気に、当時、とても感動したのである。
あの時は、手袋をしてブラックベリーを摘んだけれど、いつの間にか爪の中にまでブラックベリー色に染またことを、当時の感動と共に思い出しながら、ブルーベリー色に染まった指先を、お酢と食器洗い専用洗剤で洗い上げた午後である。
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