最近の出来事なのだけれど、
ミスをやらかしてしまったことに気が付いた。
確認したいことがあり、外国に住む友人にメールを送信していた。
この友人は普段から、2日経っても返事が届かない場合は
返信を催促して欲しいと言っているため、
3日めの夜にメールが届いているのかどうかを尋ねてみた。
すると、「ここ1週間は毎日確認しているけれどメールは届いていない」という。
何か不具合でも生じたのだろう。
そう思った私は再送し、メールのやり取りは無事に完結したと思っていた。
しかし数日後、今度は友人の方から、
先日話していたメールが届いていないのだけれど、どうなっているか?と問い合わせを受けた。
私たちの間に、何か行き違いが生じていると思った瞬間、
私は自分のミスに漸く気がついた。
私たち日本人が普段使っている「メール」という言葉は、
言わずもがな携帯やPCを使って送る、あのメールのこと。
だけれども、この「メール」という言葉は和製英語で、
私たちが「メール」と呼んでいるものは本来、
電子メール(electronic mail)が省略されたe-mail(Eメール)であり、
英語で言うメールは郵便物のことを指しているのです。
ですから私たちはお互いに少々妙だなと感じつつ、
私は友人からのEメールを待ち、
友人は私からの郵便物を待っていたのです。
この表現は、メールアドレスに関しても同じで、
外国の方に「メールアドレスを教えて」と言うと、
Eメールアドレスではなく自宅の住所を聞かれているのだと思い、
警戒心を抱かせてしまうこともありますので、
外国の方にEメールアドレスを教えていただく際やEメールのことを話す際には、
わたくしのようなミスや行き違いを起こさぬようご注意下さいませ。
日常の中のちょっとした出来事だったのですが、
私たちは習慣で生きているものなのだなと感じる出来事でした。
そう言えば、電子メールの日という日があるのですが、ご存知でしょうか。
今年は過ぎてしまいましたが、「いい文(ふみ)」ということで1月23日がその日です。
ちょっとした違和感をお持ちの方もいらっしゃるかと思いますので、
補足しますと、この「いい文」の「いい」とは、EメールのEのことで、
「いい文=Eふみ=Eメール」という流れから設定されたようです。
私たちの生活に馴染みきっている言葉や習慣を覗いてみるのも、
時には面白いものでございます。