自分が生まれ育った国のことを、どれくらい知っているのだろうか。
外国の方が知っている日本のことを見聞きし、そのようなことを思うことがある。
地元や何らかの関りがある土地のことであれば、多少なりとも知ってはいるけれど、
行ったことがない土地や関りが少ない土地は、
外国と大差ないのではないだろうかとさえ感じることがある。
先日、海外にある観光地に興味を持ったため、
海外メディアが発信している観光地情報に目を通していたのだけれど、
巡り巡って日本の鳥取砂丘に関する記事に辿りついた。
一度だけ足を運んだことがある私は、当時の懐かしさと、
海外の人たちから見える鳥取砂丘はどのような場所なのか、
単純に興味が沸き、記事を読み進めていた。
きっと、鳥取県や近隣にお住まいの方々にとっては常識すぎることなのかもしれないのだけれど、
鳥取砂丘へ足を運んだ当時の私には、
アラビアンナイトの物語の世界を想像させられるような
幻想的な光景がとても印象的だったのだと思うのだ。
その光景ばかりが記憶に刻まれおり、
鳥取砂丘が置かれている実態に関する知識がすっぽりと抜け落ちていることを、
遅れ馳せながら、海外メディアを通して知ることとなった。
海外のメディアでは、鳥取砂丘のことを日本の隠れた穴場的観光スポットとして紹介していた。
そして、サハラ砂漠のように乾燥地帯でも暑い地域でもない日本にある砂丘は、
それだけでも十分珍しい存在だというのに、砂丘の周りは豊かな自然に囲まれており、
まるで神話の世界の様だと言われていた。
私の外国人の友人、知人たちに日本の印象を聞くと、両極端な答えが返ってくる。
近未来的な印象か、未だにサムライが横行するような印象なのだ。
サムライとまではいかなくとも、その多くの人々が
“着物”を日常着として着ていると思っていることも少なくない。
着物を自分で着付けることができる人は少ないと思うと話すと、
そんな馬鹿なことってある?と真顔で言われるのだから、
言われたこちらは、リアクションに困るやら、日本人として胸の奥がざわつくやら。
そして、これだけ時代が進化し、リアルな情報を簡単に入手できる状況下であっても、
その印象というのは数十年まえから左程変わっていないことに驚かされたりもする。
だからこそ日本は、次の東京オリンピックで、
幻想ではない姿形ある日本を世界にどう伝えるのか、個人的にとても興味がある。
話を鳥取砂丘に戻すと、
鳥取砂丘は、数千年も前に砂が自然に堆積してできたものだけれど、
この砂丘周りの植物が、過去50年間のうちに40メートルほど
砂丘側へ向かうようにして成長してきている影響で、砂丘縮小の危機に瀕しているのだそう。
現在は、ボランディアの方々による除草作業や、海底から砂を運び戻すなどして、
鳥取砂丘を守る活動が行われているそうなのだけれども、
海外メディアでは、現状を伝えた上で、
日本へ行く機会があるのなら出来るだけ早く見ておくべき景色のひとつだと伝えている。
私の頭の中から、すっかり抜け落ちてしまっていた鳥取砂丘の現状だったけれど、
このタイミングでもう一度、知ることができて良かったと思った出来事だ。
鳥取砂丘に行く機会がありましたら、
神話や童話の世界を想像させる幻想的な砂丘を記憶に焼き付けつつ、
今回のお話をチラリと思い出していただけましたら幸いです。
関連リンク: