季節柄ですね。
温かい飲み物が欲しくなり、
お抹茶を点てるときに使う茶道具の茶筅を出し、お抹茶ミルクを点ててみたのです。
平安、室町時代に茶の湯に触れていた先人たちは、
まさか未来ではミルクやココアなるものを茶筅でシャカシャカするとは思いもしなかったでしょう。
私たちの常識も遠い未来では思いもしないような発想やアイデアを加えられ、
形無き形が受け継がれていくのかもしれません。
シャカシャカと小気味良い音を楽しんでいると、
学生時代に少しだけかじっていた茶道の時に聞いた「おもてなし」の話が頭に浮かんだのです。
数年前に脚光を浴びた「おもてなし」と言う言葉は、
お客様や大切な方への心遣いや心配りといった日本の文化を表す言葉で、
平安、室町時代に広がった茶の湯から生まれたと言われております。
丁寧語の「お」を添えて「おもてなし」と使っているこの言葉には2つの語源があります。
ひとつは、「表無し」から「表裏がない」ことを表しているとされ、
表裏の無い心で誠意を込めた心遣いや心配りをすることを意味しています。
もうひとつは、「もの(気持ちを含む)を持って成し遂げる」 という意味もあるようなのです。
ワタクシ、このふたつめの言葉のニュアンスは力み過ぎているような印象があり、
どうしてもしっくりこないまま大人になってしまったのですけれども
お客様や大切な方をそれくらい大切に思ってもてなす、
という意味を伝えたかったのかしら、と一人勝手に解釈しております。
当時のお茶の先生が、このようなことをおっしゃっていたのです。
お茶のお稽古には、美味しいお茶を点てたり、お作法を覚えることよりも大切なことがあると。
お茶を点てる側の人は、
お客様が心地よく過ごしていただけるように様々なことに心と目を配る練習なのだと。
そして、お客様役をするときも、ただ、お茶やお菓子を美味しく楽しむだけではなく、
おもてなしをしてくださった方の様々な心配りに気付いて感謝する練習で、
心のやり取りを学ぶ場なのだと。
今思い返してみても、さりげなく柔和な口調で奥深いことを伝えて下さっておりました。
当時もなるほどと思いはしていたのですけれど、ワタクシ、まだまだ子どもでした。
素敵なお話半分に、残り半分は、お抹茶美味しいわ、
お菓子も先週のものより今週のものの方が好きだわ、などと煩悩炸裂でお稽古しておりました。
日常の中には気心の知れた友人から、
フォーマルなおもてなしが必要なお客様まで、幅広くいらっしゃいます。
その時々に必要な礼節の必要度を見極めて大切にしつつ、
さり気ない心遣いで温かいおもてなしをすることができたり、
頂いているおもてなしに気付いて感じることができる心の余裕を持っておきたいものですね。
随分と遠い日にしていただいた、このようなお話を改めて噛みしめつつ、
ほんのり苦くて甘いお抹茶ミルクは美味しい!と唸っている私は、
あの頃の私よりも成長できたのだろうかと苦笑いするある日の午後でありました。
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