ここ数日、外を歩いていると散歩中の柴犬とすれ違うことが多かった。
艶やかな毛並みとキュッと上がったお尻の上に
クルッと軽く渦を巻いたご自慢の尻尾を乗せてリズミカルに歩く姿には、しばしば目を奪われる。
私も子どもの頃、柴犬を飼っていたことがある。
飼い主の贔屓目ではあるのだけれど賢くて凛々しい愛犬だった。
私が誰にも話さずに抱えている気がかりに気付くのも彼だった。
普段は「遊ぼう」とボールやおもちゃを持ってくるのだけれど、
そのような時に限って、何も求めず、ただただ私に体をくっつけて側に居てくれるような子だった。
父が飲むビールの泡が好きだったり、
食事の内容に敏感に反応し、手抜きメニューが通用しなかったりと個性もあった。
だけれども彼の一番の特徴は、日々の散歩がいらなかったことではないかと思っている。
犬と言えば散歩が欠かせないけれど、
我が家の場合は、人間の散歩に彼を付き合わせるということは時々あったけれど、
彼の散歩を日課にしたことはなかったのだ。
というのも、彼は毎晩、ひとりで散歩に出かけていくのだ。
車の通りが減る遅い時間に庭の扉と門を開けると勢いよく駆け出していき、
1時間ほどすると窓を叩き、「帰ったからお水をくれ」と知らせてくれていた。
ただ、ここで庭の扉や門を閉じる前にお水を出してしまうと
喉の渇きを潤した彼は2回目の散歩に飛び出してしまう。
こうなると、私たち家族はあと1時間、寝ることが出来ずに彼の帰りを待つことになるため、
ある時から庭の扉と門を閉じた後にお水を出すことが家族内での決まり事となった。
しかし、ある日、事件が起こった。
2日、3日、待てど暮らせど彼が帰って来なかったことがあった。
私たちは打てる手を全て打ち、もう出来る事と言えば祈る以外に無いという状況になったとき、
彼の首輪に付いていた連絡先を見たと言ってあるお宅から連絡が入ったのだ。
連絡をくださった方のご自宅の植物に首輪がひっかかり、
身動きが取れない状態になっていたところを発見して下さったのだという。
直ぐに引き取りに行き、疲れ切った彼を連れ帰り一件落着したのだけれど、
あまりにも遠くに居たものだから家族全員で驚いた。
そして、後々分かったことなのだけれども、
その付近にカワイイ子(柴犬)が居て、彼は毎晩、その子に会いに行っていたようなのだ。
彼が全速力で往復したとして、彼女の所に居ることが出来るのは5分程ではないだろうかという獣医のお見立て。
彼にも私の知らない、彼の世界があるのだなと、子どもながらに思ったことを覚えている。
すれ違う柴犬たちを目で追っていたら、久しぶりにそのようなことを思い出した。
今は亡き彼の名を声に出して呼ぶことは無いけれど、
あの頃、時々一緒に行く散歩中に彼の名を声に出して呼ぶと、
辺りに居る人たちに必ず振り返られた。
それもそのはず。
どこからどう見たって和犬の彼に私が付けた名は「ラッシー」。
当時、夢中になっていた名犬ラッシーに感化されたことは言うまでもない。
どこからどう見たって日本人の男の子を大きな声で「ボブ!」とでも呼ぶような状況だ。
たっぷりの愛情を交し合い、名付けにも後悔はないものの、
私は今でも彼の名に自分の若気の至りを感じずにはいられない。
彼が自分の名を気に入ってくれていたのならホッとできるのだけれども。
家族の一員であるペットと過ごされている皆さん、
今日は、たくさん名前を呼んであげてみてはいかがでしょうか。