贅沢にも色々とあるけれど、私にとっての「贅沢」のひとつは、ひとりで気ままに過ごすティータイム。
場所は自宅でもいいし、お気に入りのカフェでも、初めて入るカフェでもいい。
気候が穏やかになるこの時季は、テラス席からお花見をするのも楽しいもの。
お花見とはいっても生花ではなく、行き交う人たちのカラフルな春の装いがそれ。
その日は、少しでも春を感じたくて選んだサクラフレーバーの紅茶をいただきながら
行き交う人々を眺めていた。
すると、私の隣のテーブルに小学生くらいの女の子と、彼女のお婆ちゃんらしきご婦人が座った。
椅子の大きな背もたれに自分の体をじりじりと寄せるようにして座る彼女が微笑ましかった。
しばらくすると、ご婦人のこのような会話が漏れ聞こえてきた。
「お家に帰ったら3色団子を食べるけど、どうやって食べるんだったか覚えてる?さっき、お茶のお稽古のとに教えたでしょ。」と。
もしかして、このご婦人はお茶の先生なのかしら。
そう思うと、隣のテーブルで決ままに過ごしていた私の背中もすぅーっと伸びた。
そして、私自身、あまり使う機会が無くなっていた串団子のお作法を思い出すことになった。
串団子は、そのまま串から直接いただいても良い和菓子だけれども、フォーマルな場面で黒文字(くろもじ)が添えられていたら、
黒文字(くろもじ)を使ってお団子を串から外し、黒文字(くろもじ)で切り分けたり、刺すなどして食べるのがお作法だ。
黒文字(くろもじ)は、和菓子をいただく時に添えられている楊枝のこと。
自宅には黒文字(くろもじ)を常備しているけれど、私自身は串団子を食べる時に黒文字(くろもじ)は使わない。
そもそも、既に手もお皿も極力汚さずに食べられる状態にしてあるのだし、お行儀の悪いことをしていると錯覚させられるあの感覚と、ある種の豪快さを味わうのも串団子の醍醐味だと思うのだ。
お作法には意味があり、思いやりがベースにある素敵な風習だと思っている。
加えて、やはりひと通り知っておいて損はしないものだとも。
だけれども、それ一辺倒になるのではなくて、使い時、使い所、お作法の匙加減を操れてこそではないかと思うのである。
そして、大きな声では言えないけれど、オトナだって時には、ほんの少し、お行儀の悪いことだってしたい。
365日、24時間、完璧なオトナでいるなんて面白味に欠けるじゃないかと。
あの小さな彼女もいつか、このような事を思うことがあるのだろうか。
今日もまた、相変わらず答えの無いことに思いを巡らせながら春の夕暮れを味わいつつ帰路についた。