急なお誘いで出かけた日のこと。
オレンジ混じりのピンク色をした夕焼けが西の空に広がっておりました。
その桃のコンポートのような優しい色をした夕焼けは、
私に夏を感じさせてくれました。
今年も、あっという間に過ぎ去っていくのであろう夏の風景を
できるだけ目に焼きつけておきたくて、
私は少し先の空を視界に捉えながら駅へ向かったのです。
途中、私と同じく駅の方へと向かう親子連れを見かけたのですが、
どこかで夏祭りでもやっていたのでしょうね。
小さな子どもたちはカラフルな絞りの浴衣の裾と帯をひらひらさせながら
弾むように歩いておりました。
目の前に広がる、それら景色のひとつ、ひとつに夏が凝縮されているようで
夏を楽しみそびれている私には、少しばかり眩しい景色でもありました。
ある広場の前を通ると、大人や子どもたちの歓声が上がりました。
歓声につられるように視線を向けると、
青竹が使われた大掛かりな「流しそうめん」を楽しんでいるところでした。
私が最後に楽しんだ「流しそうめん」や「そうめん流し」の記憶はいつだったかしら。
と、記憶を手繰り寄せようとするも、
それは、思い出せないくらい遠い日の出来事になっておりました。
皆さんは「流しそうめん」と「そうめん流し」の区別がつきますでしょうか。
「流しそうめん」は、竹を割り、そこに水とそうめんを流すもので、
発祥地は、神話などにも触れることができる
宮崎県の高千穂峡(たかちほきょう)だと言われております。
暑い夏にそうめんを茹で、高千穂峡の冷水にさらして食べ涼を得ている光景から
「流しそうめん」が生まれたのだそう。
そして、もうひとつ。
「そうめん流し」は、鹿児島県にある唐船峡(とうせんきょう)が発祥地だと言われおります。
こちらは、詳しくは回転式の「そうめん流し」で、
まるい器の中に水を入れて流れを起こし、その流れにそうめんを投入して食べます。
イメージとしては流れるプールのような状態だと言えば想像しやすいでしょうか。
唐船峡(とうせんきょう)には、水の郷百選にも選ばれるくらい美味しい水もあるそうで、
観光PRとして始まったようです。
このように、「流しそうめん」や「そうめん流し」の発祥は、
宮崎県や鹿児島県だと言われておりますが、
ある歴史学者の方の著書には、このような事が書かれているのだそう。
江戸時代、薩摩藩支配下の沖縄に滞在していた薩摩藩の役人たちが、
崖の上から落ちてくる冷たい水の流れにそうめんを投入し、
水が底に落ちきってしまう前に、そうめんを掬って食べることが夏の一番の楽しみだと。
この記述により、この出来事を「流しそうめん」の始まりなのではないだろうか、
という説もあるようです。
崖の上からそうめんを流されたのでは、
そうめんを掴み取ることに必死にならざるを得なくて、
涼を感じる余裕はないのではないかしら、と思ったりもするのですが、
涼むだけではなく、スリリングなイベント性も含めて楽しまれていたのかもしれませんね。
風鈴の音を聞いて涼しいと感じるのは、
脳が風鈴の音を聞いて涼しさを想像することができる、
風鈴に慣れ親しんだ経験がある人だけだと言います。
もしかしたら、「流しそうめん」や「そうめん流し」で涼しさを想像できるのも、
風情を大切にする日本人ならではの感覚なのかもしれません。
今年の夏は「流しそうめん」や「そうめん流し」で
涼しさと風情とイベント性を欲張って感じてみるのも良いのではないでしょうか。
今年の夏も楽しんでまいりましょうね。
本日もお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
関連リンク: