夏季休暇を利用して遠方から会いに来てくれた友人と駅の改札で待ち合わせをしていた。
お互いに忙しくしていることもあり、やりとりそのものも決して多くはなく、メールのみという状態で、
実際に顔を合わせるのは2年振りだった。
様々なタイミングが合うときというのは、
「そろそろ会いたいね」という話が出てからスケジュールが決まるまで、
驚く間もないくらいスムースにモノゴトが進んでいく印象がある。
きっと、どちらか一人が社交辞令だったり、
どこかで無理だろうなと感じつつ、いつか実現できたらいい。
という気持ちで発言していたりすれば現実になることは少なく時間もかかるように思う。
それだけ、大人になると様々なモノゴトを背負っているとも言えるし、
関わっているとも言えるし、自分の意識次第とも言えるのだろうけれど。
それらのタイミングが合ったことで会うことが出来る友人に感謝しつつ到着を待った。
はにかんだ笑顔がチャーミングな友人との再会を果たし、
私たちは予約していたお店へと向かった。
予定時刻よりも随分と早く到着してしまいそうで、
急遽、近くに在る森に覆われた神社へ足を運んでみることにした。
敷地内に足を踏み入れた瞬間に、避暑地に来たような、
心地よいヒンヤリ感が全身の汗を沈めてくれた。
近況報告をし合いながら境内を目指す。
お詣りを済ませた私たちは、久しぶりに御神籤でもひいてみようかと盛り上がり、
今度は引いた御神籤を見せ合いながら更にひと盛り上がりした。
すると、宮司らしき方が声をかけてくださった。
少しだけ立ち話をしていたのだけれど、話題は御神籤から日本にある籤(くじ)に発展した。
ここは神社だけれどもという前置きの後、
「あみだくじ」は阿弥陀様(阿弥陀如来)の後光なんですよ、と仰った。
あみだくじが後光?私たちがキョトンとしていると、
私たちが子どもの頃から慣れ親しんでいる「あみだくじ」は「阿弥陀籤」と書き記し、
古くは室町時代から使われていたのだという。
そして、「あみだくじ」本来の姿は、現在のように上下に伸びた線をなぞるものではなく、
線は中央から放射上に書かれているものなのだそう。
この様子が阿弥陀如来の後光に似ていることもあり、
「阿弥陀籤(あみだくじ)」と呼ばれるようになったのだとか。
私は、上から下へ、下から上へ、というスタイルでしか利用したことがなかったため、
次に「あみだくじ」を使う機会があれば、
放射状に線を描いた「元祖あみだくじ」を使うぞと
密かに意気込んでいるのだけれど、未だその機会は訪れていない。
もし、皆さんが「あみだくじ」を使う機会がありましたら
話のネタに「元祖あみだくじ」などいかがでしょうか。